Rachel Bitecofer著「Hit ‘Em Where It Hurts: How to Save Democracy by Beating Republicans at Their Own Game」

Hit 'Em Where It Hurts

Rachel Bitecofer著「Hit ‘Em Where It Hurts: How to Save Democracy by Beating Republicans at Their Own Game

政治学者であり民主党の選挙戦略家としても活動している著者が、トランプ率いる共和党から民主主義を守るために共和党が得意とする戦法から学び使いこなすことを主張する本。

本書を通して著者は、「ネガティヴ・パルティザンシップ」を戦略として採用すべきだという。本来のパルティザンシップとはそれぞれの政党が自分たちの政策の利点を掲げて支持者を増やし競うことだが、最近では自分の政党への支持よりも対立政党への不満や不信に基づいた姿勢が広がっており、その結果民主主義が脅かされていることが多くの識者によって指摘されている。バイデン大統領以下民主党の主流派は、ネガティヴ・パルティザンシップの先鋭化による分断化と民主主義の機能不全を恐れるあまり、超党派による協調を呼びかける姿勢を見せているが、共和党の側にこれに応じる姿勢が皆無である以上、一方的に民主党のイメージだけが攻撃されている。どんな優れた政策を掲げていてもそれを実現するには選挙に勝つしかなく、そのために民主党はなりふりをかまってはいられない、というのが著者の主張。

共和党が実際に推進しているのは、社会保障制度の民営化や公的健康保険の解体、銃規制反対、妊娠中絶の全面禁止、金持ち向け減税など、個別の政策としては圧倒的に不人気なものばかり。だから共和党は自分たちの政策の利点では争わず、民主党は犯罪者をのさばらさせる、税金を上げる、子どもたちを学校で洗脳してゲイやトランスジェンダーにしようとする、などといった(だいたいが誇張や曲解に基づき、時にはまったくなんの根拠もない)宣伝を行い、民主党のブランドを傷つけることで相対的に共和党の支持を広げようとしている。それに対し民主党の候補者たちは、中間派にアピールしようと中途半端に保守とリベラルを混ぜ合わせたような政策を訴え、時には「自分は言われているようなリベラルな民主党員ではない」と、「民主党=リベラルで危険」という共和党によって作られたイメージを強化するような生存戦略に走ろうとする。

民主党が攻勢に回ったときも、銃器業界やNRAが悪い、金融業界が悪いといった形で、共和党以外の敵を名指ししてしまい、実際に選挙で競う相手である共和党を標的にできないことが多い。「ウォーク!」や「魔女狩り!」の一言だけで扇動する共和党と比べ、やたらとデータや根拠を入れたり難しい言い回しを使って有権者の関心を失ってしまうのも民主党の悪いパターン。また、共和党は民主主義に対する脅威だ、と言ったところで、犯罪者によってあなたの家族が狙われる、あなたの収入が増税によって減らされる、あなたの子どもが洗脳される、といった、個々の実感に訴えかける恐怖を刺激する共和党の戦略にはかなわない。人々は民主主義や将来への漠然とした危機よりも自分が持っている何かを失うことを恐れるのだから、民主党もたとえば「共和党によって社会保障制度が破壊されればわたしたちは年金や健康保険を失う」といった感じに人々のそうした恐怖に訴えかけるべきだ、と著者。実際に、妊娠中絶の権利が最高裁によって否定されて以降、「あなた自身の身体の支配を奪われる」というメッセージによって民主党はいくつもの選挙で予想を上回る結果を出してきた。

最後の最後に、リベラルな運動にありがちな、細部にこだわって連帯を損なうことを避けよう、という話があるのだけれど、そこで書かれていた具体的な例え話にもやっとする。その例では、有権者に郵送するための妊娠中絶の権利をテーマとした広告の内容についての議論が紹介されており、「有権者は細かい話なんて読まない、一言でバシっと決めるべき」として「共和党はあなたの自由を奪おうとしている」というメッセージが採用されるも、「このストック写真、白人ばかりじゃない?」と言い出す人がいて、より多様性のある写真を選ぶ。続いて「この広告、ちゃんと労働組合のある印刷所に発注してるんだよね?」とか「印刷している紙はリサイクル紙を使ってる?」など次々と注文が入り、その度に対応するも、最後に「ここの『女性』という部分はトランス男性やノンバイナリーの人にも配慮して『妊娠する人』に変えるべきだ」という意見が出てくる。いやいや、そんな表現したらややこしくなって伝わる人にも伝わらなくなるし、そうしたら選挙で負けてトランス男性やノンバイナリーの人こそより困ることになる、としてポリコレの行き過ぎには気をつけましょう、という教訓が示されるオチになっている。わたし自身、別に「女性」のままでもいいとは思うんだけど、そんな話題これまで取り上げてこなかったのにいきなり最後にこんな扱いするのも唐突すぎるし、人種的多様性や労働者の待遇、環境問題に比べてトランスやノンバイナリーの人たちには配慮する必要はないと言っているようで、それはどうかと思うんだけど。