R/B Mertz著「Burning Butch: A Memoir」
暴力的な夫と離婚したあとカトリック教会の超保守派のコミュニティにのめり込んだ母親に育てられ、同じく超保守的なカトリック大学に進学し卒業後も同系統の学校で英作文を教えていた詩人・作家である著者が、レズビアンであることを自覚し自分の生き方を見つけていく自叙伝。
その人生の大半をカトリックのなかでも特に保守的なコミュニティの中で自分を隠して行きている描写が本の大部分を占め、読んでいるだけで息苦しくなるほどの閉塞感を感じた。幼いころからボーイッシュだったけれども習い事のバレエは好きで、ただ男子の服で踊りたいと思っていたり、女の先生に片思いしたりするなど、早いうちからクィアな気持ちを抱えていたものの、母の信仰を馬鹿にしていた父親に預けられた際ははっきりとは覚えていないもののシャワーやベッドの中に父が入ってきて「なにかがあった」記憶があったり、高校生になってミュージカルに興味を持ちネットでミュージカル愛好者のコミュニティに出入りすると中年男性からナボコフ「ロリータ」を読むよう言われて下着の色を聞かれるなど、女の子として大人の男性の性的対象にされる経験も積み重ねたことで、自分が女性が好きになったのは男性から虐待を受けたからなのか悩む。と同時に、「ロリータ」を読んだ彼女は自身を大人の男の性的対象とされる物語の中の少女ではなく、少女を性的に欲望する中年男性の側に置き、大人が少女を欲望することと少女が同年代の少女に惹かれることはまったく別のことであるはずなのに、罪悪感を抱く。
カトリックの超保守派のコミュニティのなかでも、はっきりと「同性愛に関する教会の教えには賛成できない」と言う人がいたり、学校のクラスメイトの女子と秘密のキスをするなどイチャイチャする関係になることも。しかしその度に、それまで抱き合って一緒のベッドで寝たりしていた人(将来はカトリック系学校の教師志望)が「あなたは関係を誤解している、二度と連絡してこないでほしい」と言ってきたり、あるいは彼女をレズビアンと知りながら「教会の考えはおかしい」と言い住み込みのベビーシッターとして雇い、一緒にテレビを見たり深い話をするなど雇い主としてだけでなく友人として仲良くしていた人が突然「あなたはわたしを誘惑して夫と子どもを捨てさせようとした」と言い出したりと、受け入れられたと思ったら拒絶される経験もたくさん。
人生の大半を通じて熱心なカトリック信者でもあった著者は、クラスメイトとキスをするなど一線を超えてしまうたびに教会を訪ね、赦しを得るための告解(現在のカトリック教会では日本語では「ゆるしの秘跡」と呼ぶらしい)を行う。わたしは告解を行ったことはなく実際にどんな風に行われるのか知らなかったので興味深かったのだけれど、司祭によって同性愛の告白を聞くこと自体を嫌そうにしてすぐ追い出そうとする人や、逆に同性愛は罪であるという教会の教えを気にしていないように「なんだそんなことか、神はあなたを愛しています」と言ってくれる人がいたという。ちなみに後者については、教会では同性愛の行為は罪だが同時に同性愛者も神に愛されているという考えなので、この司祭の発言自体は教義に反しているわけではないが、罪であり赦しを必要とするという部分を語らず著者になんの償いも求めなかったことから、おそらく同性愛に関する教義に納得していない司祭なのではないかと思われる。
カトリック系の大学で英作文を教えるなか、髪を短く切り男性的な服を着て「カミングアウトの日」に学生たちのまえで自分はレズビアンだとカミングアウトするなど(信心深い学生を相手に同性愛をめぐる神学論争する著者はすごいし、授業のあと学生の一人が「実は自分もレズビアンで、これ彼女の写真です」と言ってくるの超かわいい)、次第に教会から離れてレズビアンコミュニティに参加していく著者。しかしそこでは、超保守的なカトリックのコミュニティで長年過ごした自分の経験を分かってくれる人は少ない。保守的な家庭に育った?もう大人になったんだし自由に生きればいいじゃん、罪だなんだと言われても逮捕されるわけじゃないし関係なくね?と。レズビアンが集まる音楽フェスティバルに誘われた著者は、かつて自分が参加していた宗教的なイベントの匂いを嗅ぎ取りながらも参加するけれど、そこでトランス女性の存在をめぐる議論がいまだに続いていることを目の当たりにし、育った環境が違えば自分がトランスジェンダーやノンバイナリーとして生きていたことを想像する著者は居心地の悪い思いをする。カルト的な同質性は著者が逃げ出してきたもので、求めているものではない。しかしそのフェスティバルでは公式にトランス女性を歓迎すると明言されているし、彼女自身の人生がそうであったように、状況は変わりつつある。
大人になってもミュージカルが好きな著者は各章のタイトルにミュージカルの名曲のタイトルを付けていて、次は何が来るかな?的な楽しみも。地獄で焼かれるよりも辛いと本人が感じる描写もあり部分的に息苦しいけど、自身と同じような宗教的な家庭に育った学生たち、とくにそういう環境で孤立しているクィアな若者たちのためにも教壇に立ち続ける著者がかっこいい。