Nicole C. Rust著「Elusive Cures: Why Neuroscience Hasn’t Solved Brain Disorders- And How We Can Change That」
脳科学者の著者が、どうして脳科学の飛躍的な発展が脳の疾患に対する治療に繋がってこなかったのか、どうすれば治療法を確立することができるようになるのか論じる本。
著者が本書で取り上げるのは、アルツハイマー病やパーキンソン病、てんかん、うつ病、統合失調症、依存症など。いちおう最初の方で自閉症やその他のこれまで「疾患」とみなされていたものは社会における多様性の一部として受け入れるべきだというニューロダイバーシティの考えがあることを指摘し、本書ではとくにそれに対して立場を取らないものの、自閉症や性別違和などいまも治療すべきかどうかという(医学的あるいは政治的な)議論がある分野には触れない。こいつ逃げたなと思うと同時に、おかげで読んでいてそれほど不快にならずに済んだ。
上にあげた疾患(とされるもの)には、症状を抑える、あるいは進行を遅らせるための医療が普及しているものも少なくない。しかしそのほとんどは脳科学の研究が進むまえの1950年代に開発されたものやそれを部分的に改善したようなもので、近年の脳科学の進展はそこにほとんど関与していない。これだけ脳科学が進み、あの疾患もこの疾患も近い将来治療できるようになると期待を抱かせておきながら、どうして画期的な治療は開発されていないのか、というのが本書の主題だ。
その答えを簡単に言うと、それは科学者の多くが脳を機械のようなものと考え、疾患が生じる経路となるドミノのどれかを取り除けば疾患が起きないと誤解していたからだ、と著者は言う。しかし実際のところ、人間の脳は機械よりは天気に近いものであり、いくら観察・予測の精度が向上しても、それを任意にコントロールすることは難しい。複雑系やカオスの理論に触れつつ著者は、脳の複雑さを見失わない範囲でモデル化を目指す最新の研究を紹介、さらにニューラルネットワーク・コンピューティングから脳科学への示唆の逆流にも期待する。いやそれはあんまり期待せえへんほうがええとおばちゃん思うで?
いまだに人類はハリケーンや台風の方向を変化させることもできないでいるように(いや無理やり変化させるだけならできるけど、それがさらに激しい災害を引き起こさない保証がない)、脳科学の進歩がどれだけ治療法の確立に繋がるのかはあんまり期待できないけど、まあいろいろ最新の研究について紹介されているのが面白くはあった。