
Sanna Marin著「Hope in Action: A Memoir About the Courage to Lead」
2019年末から2023年にかけてフィンランド首相だったサンナ・マリン氏の自叙伝。就任当時34歳と当時世界で最も若い首相だった彼女が、就任早々コロナウイルス・パンデミックへの対処に追われ、続いて長い国境を接するロシアがウクライナに本格侵攻したことをきっかけにNATO加盟への政策転換を舵取りした、激動の日々とくだらないスキャンダル報道への対処が綴られる。
著者が幼いころに両親が離婚し、彼女は同性のパートナーと暮らし始めた母親とともにクィア・コミュニティで育つ。社会民主党の学生組織で頭角を現し、あれよあれよという間にフィンランド議会に当選。2019年に社会民主党を中心とする連立政権が出来た際に運輸大臣に任命されるが、数カ月後には連立政権が崩壊し当時の首相が辞任すると、後任の党首に選出され新たな連立政権のトップに。フィンランドは男女平等が最も進んだ国の一つとされていて、女性の首相も彼女以前に二人いたが、こんなに若い人ははじめて。
しかし就任するとすぐにコロナイウルス・パンデミックが発生。フィンランドは人口が少なく社会の信頼関係が強固なこともあり当初は国民は日常生活への制限を受け入れてくれたが、政府や医療に対する不信を広めようとするロシアの情報操作などと対決することに。とくに隣国のスウェーデンが他国と異なりロックダウンなどを行わず感染の蔓延を許容し集団免疫の獲得を目指す政策を掲げたせいで、感染をできる限り防ごうとしたフィンランドは苦労することに。またロシアがウクライナに本格的な侵攻をはじめた際には、かつて「フィンランド化」と呼ばれる屈辱的な準属国扱いを受けた歴史を繰り返すまいと、NATO加盟への政策転換を決意する。ロシアの情報工作があるなか、中立国でありロシアの脅威を直接的に感じていたフィンランドをNATO加盟に導くために慎重に根回しをしたりスウェーデンとの連携を保とうとした彼女の手腕は見事。自ら危険に身を晒してロシアによる虐殺が起きたウクライナのブチャを視察するなども。
彼女の政権を揺るがしたスキャンダルというのがいくつかあったのだけれど、どれもこれもスキャンダルというほどのものでなくて、ファッション雑誌に登場したときの服装がセクシーすぎるとか、ハメを外したクィアたちに囲まれていて的な。首相公邸で開かれたパーティで二人の女性参加者がトップレスで記念撮影してた、というのは「首相公邸にふさわしくなかった」と謝罪したけどまあ本人のせいじゃないし、また別のパーティで友人たちと一緒に踊ったり歌ったりしている動画が流出して「こんな激しい踊りはお酒だけではありえない、ドラッグやってただろ」とさんざん騒がれたけど「いやクィアな仲間たちはドラッグやらなくてもいつもこんな感じです」とか笑える。後者の件についてはAOCら他国の女性たちも同じように楽しく踊る動画を投稿して彼女への連帯を表明していた。
こうして激動する時代のフィンランドを率いたマリン首相は、総選挙での議席減を受けて辞任。でもその時点ではすでに疲れ果てていて、関係が冷え切ってしまった夫とも離婚。それまで一緒の時間をあまり過ごせなかった子どもを優先するために議会からも辞任して、トニー・ブレア元イギリス首相の団体に再就職した。同時期にニュージーランドの首相であり「若い女性の国家指導者」としてよく比較されたジャシンダ・アーダーン首相もそうだけれど、コロナウイルス・パンデミックが起きた時期に彼女たちのような政治家がトップにいた両国はともに(とくにデルタ以前において)低い感染率と死亡率を実現していて、運が良かったといえばそうだけど、政治家って大事だなと。