Neema Avashia著「Another Appalachia: Coming Up Queer and Indian in a Mountain Place」

Another Appalachia

Neema Avashia著「Another Appalachia: Coming Up Queer and Indian in a Mountain Place

米国ウエストバージニア州のインド系移民家庭に育ったクィア女性の教師・ライターによるエッセイ集。

日本の人にはピンとこないと思うけれど、ウエストバージニア州といえばアパラチアと呼ばれる地域の中心部にあり、かつて炭鉱産業などが栄えたが近年は失業と貧困、そしてトランプ大統領を熱心に支持する白人たちの存在で知られる地域。バラック・オバマが2008年の大統領選挙中にアパラチアの人たちを指して「銃と宗教と自分たちとは異なる人たちへのヘイトに縋り付いている」と漏らしたのはかれには珍しい大きな失言だったけれども、現地の人たちはそのように見下されていることに敏感になっていて、それがさらにトランプ的なものへの支持につながっている。

著者はそうした白人たちのなかで、数少ないインド人の家族に育つ。父親は医者で、地域に汚染物質を垂れ流す化学薬品会社に雇われて会社の行動を全肯定するスポークスパーソンとして働いていて、その会社がインドで何万人もの人たちの健康を害する公害を起こしたときも、自分の同胞ではなく自分を雇ってくれた会社のために批判に反論した。いっぽう母親はアメリカに住みながらもインドを自分のホームと思い続け、娘である著者にヒンドゥー教文化と料理を伝えようと苦戦する。

本書は17の短いエッセイを通して語られるのは、家族との思い出や行き違い、自分たちインド系移民家族と親しくしてくれた近所の白人たちがフェイスブックでは反移民的・人種差別的なデマやプロパガンダを拡散しているのを見かけて感じる不安、インド系であることで向けられる偏見と北部でアパラチア出身者として向けられる偏見の複雑な関係、インドの親戚を訪ねて感じた埋まらない断絶、クィアである自分を地元の小さなインド系移民コミュニティが受け入れてくれるかどうかという心配、東部の都市出身のガールフレンドとアパラチア出身の著者の文化的違い、アパラチアの銃文化を背負ってボストンの学校で生徒と対話するも生徒たちの銃規制論に説得される話など。

わたしが一番好きなエッセイは、著者と同じくアメリカで育ち「常に太陽が出ている場所に住みたい」とロサンゼルスに移住した従兄弟が自殺し、かれの両親によってかれの遺灰がインドに埋められたあと、著者がガールフレンドを連れて彼女なりの追悼の儀式をやろうとロサンゼルスに向かった話。両親たちの世代にとってはインドはホームだけれど、自分たちアメリカ生まれの世代にとってはインドは親の故郷であって自分のふるさとではない。そこで著者はココナッツの実を買ってきて、従兄弟が愛していたビーチに流そうとする。

著者によると、亡くなった人を追悼してココナッツの実を流す風習はヒンドゥー教には特にないけれども、儀式でココナッツを使うことはよくある。そして神聖な儀式に使用したココナッツはそこらに捨てるのではなく川に還すことが多いので、それを真似ようとカリフォルニアのビーチに行く。ところがどれだけ遠くまでココナッツを投げようとしても、川ではなく海に流そうとしたため、ココナッツはぷかぷか海水に浮かび波に流されて砂浜に戻ってくる。著者とガールフレンドは海水浴をしにきたまわりの人たちに何をやってるんだと怪しまれながら何度も何度もココナッツを海に向かって投げるけれど、何度投げてもココナッツは流されて戻ってくるうちに、日が暮れてしまう。自殺した従兄弟の追悼というヘヴィーなテーマなのに、著者のユーモアのあるスタイルも相まって大爆笑してしまった。

200ページにも満たない短い本なのに、たくさんのエッセイが入っていて涙あり笑いありでところどころ考えさせられるすごい本。アパラチアに対するステレオタイプの破壊にもつながるし、広く読まれてほしい。