Melissa Osborne著「Polished: College, Class, and the Burdens of Social Mobility」

Polished

Melissa Osborne著「Polished: College, Class, and the Burdens of Social Mobility

家族に大卒の人がいないファースト・ジェネレーションの学生たちがアイビーリーグをはじめとする有名エリート大学に進学したときに直面するカルチャーショックなどの困難と、そうした学生たちを支援するために各大学が実施しているさまざまな試行錯誤についての本。著者自身もファースト・ジェネレーションの大学院生としてこの調査をはじめ、出版時点では社会学の准教授となっている。

一家にアイビーリーグ出身者どころか大卒の人すらいない労働者階級や移民の家庭にも、教育熱心な親や学問的向上心の高い子どもはたくさんいる。貧しい地域の子どもにより優れた教育機会を与えるような施策や奨学金制度の充実などの結果、そうした子どもたちの一部はエリート大学に入学できる学力を身につけることに成功するが、学力の高さは大学に入ってからの成功を約束してくれるわけではない。そもそも裕福な家庭の子どもたちは周囲にたくさんいる大卒の大人や卒業生の知り合いなどから情報収集し、実際にアイビーリーグのような有名大学から一部では高く評価されている小さなリベラルアーツ・カレッジまでさまざまなキャンパスを訪問して自分がどの大学に進むか考えることができるが、そうでない家庭の子どもたちはハーヴァードやスタンフォードなど名前の知られた有名大学に進学することが将来の成功を保障してくれると信じる家族の言いなりに、実際に訪れたこともない、雰囲気もわからない大学に突然放り込まれることが多い。

学費や最低限の生活費は奨学金や学生ローンでまかなうことができても、実際にそうしたエリート大学でキャンパスライフを満喫するためにはさまざまなプログラムに参加するための資産が必要。さまざまな活動を通して将来のエリートたちとの人脈を繋ぎ学生生活をエンジョイする裕福な学生たちを横目に、友人関係を築けずにバイトと勉強に追われる生活。奨学金や寮に関係した書類をどうするのか、授業で分からないところがあれば誰にどう聞けばいいのか、という、周囲に大卒の人がいれば当たり前に身について知識がないために大学のさまざまなサービスをうまく利用できず、授業のなかで話題にあがる古典文学や名作映画の話にはついていけない。そういうなか、かれらは周囲に溶け込むために自分の出自を隠し、新たな人格を作ってクラスメイトたちの真似をしようとするが、うまくいかなくてからかわれたり、うまくいきすぎて自分を見失い休暇に実家に帰った際に家族との軋轢を経験したり。

エリート大学の価値の大きな部分は、そこで学べる学問的な知識や経験ではなく、大学生活を通して支配階級の文化を内面化し、また将来さまざまなジャンルの指導層となるエリートたちとの人脈を築くことだ。各大学はファースト・ジェネレーションの学生たちが「大学の仕組み、大学での勉強の仕方」を学べるような支援策は実施しているが、それだけを学んでもかれらの孤立は防げない。そこで一部の大学では、そうした学生たちが文化的にも周囲の学生たちに溶け込めるようになるための支援プログラムをはじめている。それはたとえば美術館や博物館のガイドツアー、クラシック音楽やバレエの鑑賞会だったり、正装しての晩餐会、高級なチーズやチョコレートのテイスティングなどを経験できるプログラムだったりするが、ここまでくると「貧しい家庭出身の学生の支援」ではなくそうした学生を家族や昔の友人たちから切り離し支配階級の文化に順応させようとする同化政策であり、はっきり言ってめっちゃ気色悪い。あーエリート大学に行かなくて良かった。

代々こうした大学に通っているエリート層の学生たちは、自分たちが経験しているキャンパスライフが特殊な状況において成り立っている特権的なものだとは考えもしないだろうし、「マイ・フェア・レディ」じゃないけど文化的に遅れているクラスメイトがストリートファッションではなくチーズやオペラにこだわるようになったら「垢抜けてきた」と好意的に捉えているが、その裏にエリート大学の本質的な階級文化がクラスメイトたちに困難とアイデンティティの危機をもたらしていることには気づかない。労働者階級の家庭はエリート大学に子どもを送る前にこういう現実をしっかり認識し心構えをしておく必要があると同時に、エリートたちも自分たちの文化がどれだけ不平等を生み出し続けているかいい加減気づけボケ、と思った。