Meg Stone著「The Cost of Fear: Why Most Safety Advice Is Sexist and How We Can Stop Gender-Based Violence」
女性が性暴力から身を守るためにはこうするべきだ、というアドバイスには女性の自由と権利を制限するものが多く、しかも実際に自衛の役にもたたない、として元軍人や警察官が自衛テクニックを指導する一般的な護身術プログラムを批判し、女性の自由と自信を深めるためのフェミニスト護身術プログラムをおすすめする本。著者自身、そうしたプログラムを主催している人。
女性の行動をあれこれ指図するタイプの護身術プログラムの関係者に対して著者がそれらが有効である根拠を問い詰める部分は爽快。たとえばポニーテールは犯人に掴まれるから危険だというから実際にそういうデータがあるのかというと、もちろんそんなデータはどこにもなくて、「ポニーテールは髪を掴まれる危険があることなんて自明だろ」で済まされてしまう。自分こそが護身術のエキスパートですといった顔で女性の服装や髪型、行動をあれこれ指図しておきながら、その教えに根拠がないというのは唖然としてしまう。またどんなに自衛したところで被害にあうときは被害にあうけれど、これらのプログラムは「もっとこうしていれば被害を防げた」と無限に被害者を攻めることができてしまう、プログラム自体が責めなくても被害者自身が自分に対する責めを内面化してしまうので、その点でも有害。
いっぽう著者が推奨するフェミニスト系の護身術プログラムは、テクニックより女性が自由と安全を脅かされている理不尽さの共有が前提にあり、こうすれば被害にあわないというのでなく、いざというときにどう生き延びるか考えておく、そのためのツールをできるだけたくさん知っておく、という考え方を採用する。著者は「抵抗したほうが被害から逃げられる可能性が高い」というデータを繰り返し挙げるが、仮に抵抗しなくても被害者が責められるいわれはないし、傾向としてではなく一回限りのその場でどうすればもっとも逃げ切る可能性が高いのかは誰にも分からないから、犠牲者非難には繋がらない。
わたしもむかし、ドメスティック・バイオレンス被害者のためのシェルターで仕事をはじめたとき、訓練の一部として著者が言うような護身術プログラムを受講したことがあるのだけれど、正直かなり苦手。だから最初この本を読み始めたときも、女性に服装や行動をあれこれ指図するのも嫌だけど、護身術プログラムを受けろと言われるのもわたしは嫌だなあと思ったけど、ただ自衛のために護身術プログラムを受けろというのではなくて、より広い社会運動につながるコンシャスネス・レイジングの一種として護身術プログラムに参加しようということなら、まあわかる。