M. Wolff著「Body Problems: What Intersex Priest Sally Gross Teaches Us About Embodiment, Justice, and Belonging」

Body Problems

M. Wolff著「Body Problems: What Intersex Priest Sally Gross Teaches Us About Embodiment, Justice, and Belonging

2014年に亡くなった南アフリカのインターセックス活動家、反アパルトヘイト活動家、ユダヤ系の元カトリック司祭でもあるサリー・グロス氏についての本。著者はカトリック系大学で教える宗教学者。

アパルトヘイト時代の南アフリカでユダヤ系白人家庭に生まれたグロス氏は、インターセックス(性分化疾患)であることを隠され男性として育てられる。アパルトヘイト制度は白人至上主義・人種隔離主義と同時にキリスト教ナショナリズムも前提としており、ユダヤ人は白人の中でも一つ低い扱いを受けていたが、当時の南アフリカ政府はシオニズム(ユダヤ教ナショナリズム)国家であるイスラエルと実質的な同盟関係にあり、南アフリカのユダヤ教コミュニティは「白人」からの排除に怯えつつ、アパルトヘイトを支えざるをえない立場に置かれていた。

若いころからアパルトヘイトに反発していたグロス氏は、当時テロリスト扱いされていたアフリカ国民会議に参加し反アパルトヘイト活動に参加した結果、国籍を与えられていたイスラエルへ、そしてイギリスへの亡命を余儀なくされるとともに、ユダヤ教からカトリックへ改宗し、司祭を目指すようになる。もともと性別違和を抱え、また対人性的欲望を感じないアセクシュアルだったグロス氏にとって禁欲と独身を強いられる司祭の立場は都合が良かったが、男性として生きることに限界を感じる。しかしインターセックスやノンバイナリーについての理解が皆無な時代、男性として生きられないのであれば女性として生きるしかないと医者らに言われて典型的な女性の装いをはじめる。

グロス氏は自身が男性にも女性にも性的に惹かれないから司祭の資格を失うような行為は一切しておらず、またインターセックスでありトランスジェンダーではないことを教会に認めさせることはできたものの、そもそも女性の司祭を認めていないカトリック教会において女性的な外見のインターセックスの司祭が認められるはずもなく、次第に追いやられる。またメディアも彼女の存在を面白おかしくセックス・スキャンダルとして扱ったため、彼女のもとにはさまざまな嫌がらせが押し寄せる。

ちょうどそのころネルソン・マンデラが釈放され、アパルトヘイト政策が破棄されたこともあり、グロス氏は南アフリカに帰国し、マンデラ大統領の政権が進めた農地改革(白人に奪われた農地の黒人への返還)の現場で働くことになる。人種平等だけでなくゲイやレズビアンの権利まで含めた人権国家として歩みだした南アフリカで、しかしインターセックスの人たちの権利が保証されていないことを知ったグロス氏は、インターセックスの権利の法制化を働きかけ、また国際人権団体からの支援を受けて南アフリカ・インターセックス協会を発足させる。彼女はたびたび欧米を訪れるなど他国のインターセックス活動家らとも交流しており、わたし自身当時、北米インターセックス協会で働いていて彼女と出会った。

しかし予定より早く国際人権団体からの資金援助は打ち切られ、カトリック教会に裏切られた経験から宗教的に満たされる場を見つけられず、身体的にも障害により外出が難しくなったグロス氏は、貧困と孤独に苦しむようになる。晩年にはインターネットを通して生活費の寄付を募るようになるけれど、実際に集まった資金はごく僅か。生涯を独身で過ごし、反アパルトヘイトやインターセックスの運動をはじめさまざまな人権活動に捧げた彼女の孤独な死は、わたしにとっても人ごとではなくてドキッとする。彼女の功績は南アフリカのアパルトヘイト博物館でも展示されているけれど、そんな功績がある人がこんな風に亡くなるなんて、というか、功績があろうとなかろうと貧困と孤独のなか苦しみながら亡くなる人がいるのはおかしい。

本書はグロス氏をただ社会改革家として称賛するのでも、悲劇として語るのでもなく、彼女のあまり知られていない側面にも注目して、その複雑な生を描き出そうとする。たとえば彼女はユダヤ教からキリスト教に改宗したわけだけれど、ユダヤ教を放棄したわけでなく融合させようとしたし、またカトリックを追放されてからは仏教の瞑想を取り入れたりクェーカー教会に関わるなど宗教的なものへの関心を失うことはなかった。南アフリカとイスラエルに住んだことで南アフリカの黒人とパレスチナの人たちの体験を繋げて理解したり、それ以外でもさまざまな人権問題について関心を寄せ、さまざまな分野に圧倒的な知識を持っていた。

と同時に民主化後の南アフリカ政府で働いていたときの評判にはあまりよくないものもあり、たとえばあまりに語り口がインテリすぎて周囲がついていけないことが多く、黒人を人種差別的な視点から見下しているのではなくても、それまで教育機会を与えられてこなかった黒人から見ると白人的な常識を押し付けているように見えた。またインターセックスの活動のなかでも、伝統的な助産婦の役割をしている女性たちがインターセックスの新生児を「生まれなかったほうがマシだった」として親に知らせず誕生直後に殺している、と何の根拠もなく主張して法規制を訴えたが、インターセックスの子どもたちに対する不要な外科手術などを行う白人の医師ではなく黒人の助産婦たちを攻撃したことは批判されて当然。

グロス氏との交友があるワシントン大学のAmanda Lock Swarr氏が書いた「Envisioning African Intersex: Challenging Colonial and Racist Legacies in South African Medicine」の紹介でも書いたけれど、わたし自身はグロス氏が反アパルトヘイト活動家だったとは知らず、南アフリカの白人というだけで避けてしまっていたのが悔やまれる。当時、アパルトヘイト廃止を受けて南アフリカの白人たちが資産を持ってアメリカに移住することが増えていて(イーロン・マスクはその一人)、そういう人たちと出会って嫌な経験をしたことがあったので、逆にアパルトヘイト廃止後の南アフリカに戻って人権国家設立のために働いていたグロスさんにもそのイメージを当てはめてしまい、結果として彼女の孤立をより深めてしまったと反省している。