Lisa Vogel著「We Can Live Like This: A Memoir of a Culture」

We Can Live Like This

Lisa Vogel著「We Can Live Like This: A Memoir of a Culture

1976年から2015年にかけて40年間アメリカ最大の女性音楽祭・ミシガン女性音楽祭を運営してきた著者による自叙伝。自費出版。

当時はまだ全盛期だったミシガンの自動車産業で働いていた父親と専業主婦の母親のもと育った著者がミシガン女性音楽祭をはじめたのは19歳のとき。遠くで開催されている別の女性音楽祭に参加するために車で長旅するのが面倒だったので、自分が主催してミュージシャンを地元に呼んだら良くね?と思い立って計画するも、当たり前の話、自分が中心になって音楽祭を開催するほうがはるかに大変。しかも女性だけの音楽祭を作るにあたって、当時はステージの設営やらサウンドボードやらに詳しい女性は少なく、人材もなかなか集まらないなか見様見真似で作り上げる。いろいろな仕事をしている女性が機材を職場から無断で借りてきたり、適当なもので代替したりと手作り感がすごすぎる。で、第一回が終わった時には「もう二度とやるか」と当然思うけど、参加した人たちから求められて翌年以降も開催することに。

初期の音楽祭を実現するために働いていたのは、著者をはじめ若くて健康な白人労働者階級のレズビアンたちが中心。当時レズビアン音楽といえばフォークソングを中心としたシンガーソングライターが多かったのだけれど、回を重ねるごとにより多様なジャンルのパフォーマンスをフィーチャーするようになる。しかし最初に黒人女性のバンドを呼んだときはミシガンの山奥に連れて行かれた彼女たちが感じる不安を理解できなかったり、車椅子を使う女性が参加しようとしていることを知って彼女がどうやって会場内を行き来するか慌てて考え出すなど、さまざまな問題にぶち当たりながら学んでいく。また次第に中流階級以上の女性たちが参加するようになると、こんどは逆に著者ら労働者階級の女性たちの側が下に見られることを経験し、それを通して非白人女性や障害者女性の立場を理解していく。

40年のあいだには、会場で赤痢菌のアウトブレイクが起きて数千人の参加者たちを通して全国に広めてしまったり、参加者たちを送り迎えするシャトルに規定以上の人数を乗せたうえ必要な特殊運転免許証のない運転手が運転していて事故を起こしてしまい破産しかけたりといろいろな事件が起きるし、著者自身も音楽祭をきっかけに知り合った女性と付き合ってDV加害者として名指しされたりドロドロの別れ方してたりと、まあいろいろな話が出てくる。ミシガン女性音楽祭40年の事件簿、あるいは40年かけて著者が学んださまざまなこと、として読むとかなりおもしろい(あとミシガン女性音楽祭秘蔵写真集としても)。一方、音楽祭の歴史を通して二大論争となったBDSMの扱いとトランスジェンダー女性の参加については扱いが淡白で、コミュニティでは丁寧な議論が行われていたけど外部の人たちが騒いだ的な扱い。

後者の論争については、1991年にトランスジェンダー女性のナンシー・バークホルダーさんが強制的に会場を退去させられてから問題となる。1994年以降、トランス女性排除に抗議する「キャンプ・トランス」がミシガン女性音楽祭の向かい側で開催されるようになり、トランスジェンダーの人たちに対する理解が広まるとともにミシガン女性音楽祭に対する批判が高まる。当時から著者は、ミシガン女性音楽祭は「女性femaleとして生まれて、いまも女性womynとして自認する女性のためのもの」として意図されており、その意図をどのようにリスペクトするかは個人の判断に任せるとして、特定の個人のアイデンティティについて問い詰めたり審査しないと発表していた。これは、ブッチレズビアンをはじめとしてミシガン女性音楽祭に参加している多くの女性たちは普段からそうしたアイデンティティの詮索を受けており、音楽祭に参加中にそのような経験をさせたくないという考えに基づくものだが、歓迎されているかどうかは別として、事実として毎年一定数のトランス男性やトランス女性は音楽祭に参加していた。従って音楽祭にはトランス女性を排除する規則は存在しなかった、と著者は言うのだけれど、「意図をリスペクトしろ」という形で自主規制を求める姿勢は、次第に若い世代のクィア女性たちから反発を浴びるようになる。

2014年の音楽祭直前にはミシガンのLGBTQ団体イクォリティ・ミシガンによってミシガン女性音楽祭に対するボイコットが呼びかけられ、多数のLGBTQ団体やレズビアン団体がそれに賛同を表明したことで、ミシガン女性音楽祭におけるトランスジェンダー女性排除はさらに注目を集める。著者はこうした動きについて、反対者たちは音楽祭一度も参加しないまま、トランスジェンダー女性の参加を禁止する規則が存在しないことや、音楽祭のなかでトランスジェンダー女性を支持する集会やワークショップなどが多数開かれていることを知らないまま非難している、と書いているけれどそれらの団体の人たちの中に以前はミシガン女性音楽者に参加したことがある人が多数いたことをわたしは知ってるし、かれらはミシガン女性音楽祭の「意図」とそれを「尊重」しろという要請についてきちんと知っていたはず。あと内部でトランスジェンダー女性を支持する集会やワークショップが行われていたのは、音楽祭を変革しようという呼び掛けが内部で行われていた事実を示しているのであって、トランス女性を支持する集会があるからボイコットするべきではないという話にはならない。

そもそもミシガン女性音楽祭は、著者が個人的に所有する営利企業によって運営されていて、内部でどのような議論があり、どのような意見が支持を広げたとしても、著者本人が望まない限り変化は起きない。営利企業の運営であること自体は、音楽祭を使って儲けようとしているわけではなく、非営利団体や協同組合で運営するのに比べて自由度が高く所有者に権限が集中するので運営しやすいから、という著者の言明はその通りだと思うので疑問に思わないけど、あれだけ多くの人たちのボランティア活動に依存し、また全ての参加者が一定の時間コミュニティサービス活動をするよう求めているのに、コミュニティを二分するような問題で著者だけが全権を持っていたせいで時代とともに柔軟に変化できなかったんだろうなあとは思う。June Thomas著「A Place of Our Own: Six Spaces That Shaped Queer Women’s Culture」でもレズビアンたちが20世紀後半に立ち上げたさまざまなスペースが世代交代を果たせずに消えていった過程が描かれていたが、でもまあ著者が19歳ではじめて59歳になるまで40年も続けられたのは普通にすごい。