Keeley Hazell著「Everyone’s Seen My Tits: Stories and Reflections from an Unlikely Feminist」

Everyone's Seen My Tits

Keeley Hazell著「Everyone’s Seen My Tits: Stories and Reflections from an Unlikely Feminist

イギリスのタブロイド各紙が三面に写真を掲載していたトップレスの女性モデル、いわゆる「ページ3ガール」として人気を博した著者が、労働者階級出身者として、そして性的に客体化し消費して良い女性として扱われてきた立場から、社会のあり方に疑問を抱き発言するまでを綴った自叙伝。

ページ3のモデルになるまでの著者は、貧困というほどでなくとも経済的な余裕のない労働者階級の家庭に育ち、近所の同じ状況の人たちとつるんでドラッグや万引きに手を出す生活。学校もサボりがちで高校中退しヘアサロンで働き出すも、同僚に言われて次のページ3ガールを読者が投票で選ぶコンテストに応募。トップレスの写真とともに本名や出身地がタブロイドに掲載されいきなり家族バレするけれど、コンテストで優勝してめでたく賞金と専属契約を獲得する。

これまで見たこともないようなブランドに触れ、有名人が集まるパーティにも呼ばれるようになった著者だが、どうせトップレスモデルだろ、と見られ、メディアのゴシップ記事の標的に。フットボール(サッカー)選手らとのゴシップの真相など面白い内容もあるのだけれど、自ら望んで胸を見せているのだからまともな女ではないし、どう扱っても構わない的なエピソードがひどすぎ。

著者が大きなトラウマを受けた最悪のエピソードは、付き合って婚約までしていた男性に自分が保管していた二人のセックステープを知らないうちにコピーされ、別れたあとタブロイドに売られたこと。ページ3モデルのセックスの写真として性器が丸見えの写真まで掲載されたが、どうせ話題作りだろ、売名だろと言われ、元パートナーによる虐待だとは認識されない。弁護士に相談しても「あなたに著作権があると証明することができないから勝ち目がない」と言われ、むしろ公認して今後も販売させ使用料を受け取るべきだとアドバイスされる。マネージャーも「セックステープの印象を打ち消すために新しい路線に打って出るべきだ」と著者を音楽デビューさせ、そのミュージックビデオという口実で性的な映像を公開させるなど、わざわざ売名行為という憶測を助長するようなことをする。現在では元パートナーの行為はリベンジポルノや「画像を用いた性的虐待」と呼ばれ法的にも規制されているが、当時彼女は泣き寝入りするほかなかった。しかし同時に、著者は自分も過去に性的な画像や映像を流出させられた女性有名人に対して「自作自演、売名ではないか」と思っていたことを思い出し、自分もレイプカルチャーに加担してきたことに気づく。

テープが流出し話題となった著者は音楽のプロモーションのために取材を受けたなかで、ある女性記者から「あなたはフェミニストか?」と聞かれるが、当時フェミニストという言葉の意味も分からなかった著者はしどろもどろに。「ページ3の存在は男性による女性のレイプを起こしていると思うか?」という質問も当時の著者には理解ができず、おそらく中流階級以上の出身で大学を出ていると思われる記者と、高校を中退しておりフェミニズムなんて言葉を一度も聞いたことがない著者とのあいだの階級的な溝を痛感するとともに、記者の側からは自分が物を知らず裸になるしか脳がない馬鹿女に見えているであろうことにも気づく。やるせない。

本書はこのようにフェミニズムと最悪の出会いをしてしまった著者が、人生経験を通して自らその思想を発見し身につけていく過程が、イギリスのセレブリティ・カルチャーやハリウッドのエンターテインメント業界の話を絡めつつ、記されている。テープをタブロイドに売った元パートナーはほかにもクソすぎるエピソード満載だし、著者が主演することを前提に著者の人生をモデルにして脚本が書かれたテレビドラマの主役が、おそらく「ページ3モデルを主役に起用したくない」という理由で別の俳優に与えられた話とかもひどい。性的アピールによって芸能界で成功した著者がその弊害を経験しフェミニズムに目覚めるという大筋は同時期に出版されたKaila Yu著「Fetishized: A Reckoning with Yellow Fever, Feminism, and Beauty」と共通しているけれど、どちらもそれぞれ良いし面白いので両方読んで。