Justin Jones著「The People’s Plaza: Sixty-two Days of Nonviolent Resistance」

The People’s Plaza

Justin Jones著「The People’s Plaza: Sixty-two Days of Nonviolent Resistance

2020年6月、ミネアポリス市警察によるジョージ・フロイド氏の殺害をきっかけにブラック・ライヴズ・マターの運動が全国に広がるなか、テネシー州ナッシュヴィルで州議会前の広場を62日間にわたって占拠したアクティビストの一人がその経験について語る本。

著者は黒人男性で神学校の学生。ブラック・ライヴズ・マターのデモが各地で巻き起こったのに呼応し、ナッシュヴィルでも奴隷制に関連した銅像の撤去や黒人の命を守るための政策を求めて議会前広場で二四時間の座り込みを仲間たちとともに企画する。その時点で議会は閉会されており議事進行に何らかの影響があるというわけでもなかったが、共和党の政治家らが「アナキストやアンティファがやってくる、暴動や略奪が起こる」というデマを広めたため右派のカウンターも集まり、活動家たちは警察に取り囲まれる。

それでも当時ブラック・ライヴズ・マターの運動が白人を含む多くの市民の支持を得ていたこともあり、活動家たちは無事に一晩を過ごすことができたけれども、朝になって警察は前から決められていた清掃の人が来るから一時的に広場を離れてくれ、清掃が終わったらすぐ戻って良い、と持ちかけた。学生たちがそれを信じて一時的に移動を開始すると、すぐに警察が割り込んで広場から排除されたばかりか、食料など持ち込んでいたものの回収も阻止される。その日現地では別のデモが予定されており、警察はかれらが座り込みに合流して規模が大きくなることを懸念していたようなのだけれど、警察の行動は完全に裏目に出る。戻らせろ、食料を返せと警察と学生たちが言い合っているうちに別のデモが到達し、結果的に二四時間で撤退する予定が知事が活動家たちと面会するまで続行することが決まる。

警察はその後、ときにはリーダーと目された一人二人だけ、ときには全員一斉にと方法を変えながら、座り込みに参加している人たちを繰り返し逮捕するようになる。逮捕容疑は「違法なキャンプ」で、これはもともとホームレスの人たちを排除するために作られた法律なのだけれど、活動家たちの多くはテントを張るわけでもなく入れ替わり家にも帰っており、事実に基づかない。それどころかたまたま警察が動いたときに広場に来ていた人まで逮捕されていた。途中からは運動に共感するホームレスの人たちも座り込みに参加したが、次第に警察は広場に食料を持ち込んでいること自体がキャンプの証拠だと言い出して無差別な逮捕を繰り返す。しかし活動家たちに協力する弁護士たちも待機しており、逮捕された人たちはすぐに保釈される。ほんらい警察が怖いのは人を逮捕する権限があるからなのに、あまりに逮捕・釈放が繰り返されるので、しまいには多くの活動家たちは警察を恐れる理由を無くしてしまう。

わたし自身、保守メディアでさんざんなデマが拡散されたシアトルの「キャピトル・ヒル自治区(キャピトル・ヒル組織的抗議)」や、それより以前の「オキュパイ・ウォールストリート」を実際に見に行ったことがあるけれど、たくさんの人たちが変革を求めて立ち上げた自律的なコミュニティは、たとえ警察に囲まれていていつ突入されるか分からないという状態であっても、独自の開放感がある。保守メディアではこうした運動が暴力的な衝突とか暴動や略奪と結び付けられて語られるけど、実際に暴力をふるっているのはだいたい警察だ。

二ヶ月続いた運動が終了したのは、毎日開かれる直接民主制の集会で参加者の多数がそれを求めたからだった。その背景として、知事や州政府は活動家たちと面会するのではなく、法律を強化することで抗議運動を弾圧することを選んだことがある。緊急招集された州議会では、公共施設におけるキャンピングを重罰化するとともに、地元の検察ではなく州の司法長官が違反者を起訴できるようにする法案が提出された。それまで逮捕された活動家たちは地元ナッシュヴィルの検察に公判が維持できない(有罪に持ち込めない)と判断されて不起訴になっていたけれど、司法長官なら有罪にできるかできないか関係なく政治的な目的で起訴しかねない。こうした法律が可決されると、参加している多くの黒人たちの将来にリスクをもたらすし、ホームレスの人たちが今後さらに迫害されることにもなりかねない。著者は活動家たちが撤退を決めたのは法案のせいではない、よりサステイナブルな形態に運動を変えていくべきだと判断したからだ、と書いているが、法改正によって占拠の続行がサステイナブルではなくなったのも確か。しかし逆に言うと、そうまでして弾圧しなければいけないほど著者らの運動が政府にとって危険だと判断されたということでもある。

本書には、差別や暴力に苦しむ多くの人たちが連帯し行動を起こしたときに得られる高揚感、開放感とともに、それをどうしても許せない政府や警察の理不尽な対応が、短いながら実際にそこにいるかのような臨場感とともに書かれている。ブラック・ライヴズ・マターの運動って実際にはこういう感じだよ、という意味で読まれてもいいかも。