Jessica Hoppe著「First in the Family: A Story of Survival, Recovery, and the American Dream」

First in the Family

Jessica Hoppe著「First in the Family: A Story of Survival, Recovery, and the American Dream

エクアドル出身の父とホンデュラス出身の母を持つラティーナの著者が、親族の多くの人たちが悩ませられながら秘密にしているアルコールや薬物への依存とそこからの快復について、はじめておおっぴらに語る自叙伝。

アルコールや薬物への依存は人種・階級を超えてあらゆるコミュニティが経験している大きな公衆衛生上の問題だが、多くの人たちはそれを個人的な欠陥や道徳的な弱さと結びつけ、恥じて語ろうとしない。著者も依存症を抱える多くの人たちを見て育ち、彼女自身もアルコールに依存してしまっていたが、AA(アルコホーリクス・アノニマス)の自助グループに参加してようやく断酒した数年後、いとこが麻薬のオーバードースで亡くなってしまう。ほかにも麻薬所持で逮捕され刑務所に入れられたり国外追放された親戚もいたが、家族のあいだではかれらの話はタブーとなっていた。またそれ以外にも、薬物依存がきっかけで連絡が途絶えてしまった親戚、家族から縁を切られてしまった親戚などもいた。本書は、いとこを失ったことをきっかけに、どうして自分たちは依存症を恥じるようになってしまったのか問い、家族・親族の関係を切り裂き、かれらを奪った社会的なタブーに立ち向かおうとする著者の記録だ。

西欧ではアルコール依存が信仰上の罪とされてきたが、アルコール依存が社会的現象として認識された最初の例は、ヨーロッパ人入植者との接触をきっかけにアメリカ先住民たちのあいだでアルコール依存が蔓延した例だった。入植者たちはそれをかれらの文化的・信仰的な欠陥だと解釈したが、先住民の文化では古くからアルコールを醸造し、またほかのさまざまな薬物も使っており、入植者との交流によってはじめてアルコールに出会ったわけではない。先住民たちは伝統的に儀式においてアルコールやその他の薬物を使ってきたが、入植者によって土地を奪われ、文化を弾圧され、伝統を否定された結果として起きたのが、そうした儀式と切り離されたアルコール消費とそれによる依存の蔓延だった。現在のアルコールや薬物依存も、経済的困窮や社会的孤立、あるいは精神的トラウマの経験とメンタルヘルスケアの欠如などが背景であることが指摘されており、個人の欠陥や弱さとして扱われるべきではない。

しかしAAに代表される依存症治療のプログラムでは個人的責任が問われ、社会的背景について言及することは責任逃れであると糾弾されることが多い。著者は自分はAAによって、というよりAAに集まった仲間たちのおかげで救われたと語りつつ、「非白人の女性として」発言したところ人種は関係ない、個人として発言しろと言われたり、ジョージ・フロイド氏がミネアポリス市警察に殺害された直後にリモート参加したAAの会合でフロイド氏の殺害や人種差別について語ることが「政治的課題を持ち込まない」というルールで妨げられたことを経験し、その不備を痛感する。アルコール依存を抱える黒人やその他のマイノリティの人たちにとって、人種差別は単なる「政治的課題」ではなく自分たちの依存症に大きく関係する実存的な事実だが、裕福な白人男性ビジネスマンによって創設されたAAではそれを語ることすらできない。そもそも他人による制約をほとんど受けない裕福な白人男性が信仰を通して個人的責任に向き合うことと、生きているだけで貧困やその他の困難の個人的責任を問われている人たちにさらなる責任を問うことは、まったく意味が異なってくる。

そうした経験を通し、著者は先住民や非白人の文化のなかから、依存症に苦しむ人たちをコミュニティに回帰させ、その関係性のなかで癒やしを求めようとする取り組みを探り出す。そのなかで重要になるのは、依存症を個人の欠陥として恥じるのではなく、誰が経験してもおかしくない問題としてタブーによる沈黙を破って語り合うことだ。著者ははじめ、自分は依存症を断ち切った家族のなかで最初の一人だと思っていたが、もちろんそんなことはなく、実際のところ彼女は依存症についてオープンに語った最初の一人だった。アルコールや薬物への依存について社会的な背景を探りつつ、その共同的な対処を考える、とても印象的な本だった。