Jesselyn Cook著「The Quiet Damage: QAnon and the Destruction of the American Family」
コロナウイルス・パンデミックやそのワクチンをめぐる荒唐無稽な陰謀論や科学否認から、ハリウッドの有名人や民主党の政治家たちが子どもたちを性的虐待して恐怖に怯える子どもたちの血を採取して飲んでいるという主張まで、Qアノン運動に家族が騙され奪われたと感じる人たちへの取材を元に書かれた本。
癌の診断を受け入れられず、ネットで見つけた癌治療は患者を殺すという陰謀論にのめり込むことからQアノンにハマっていった高齢の女性と、彼女と長年連れ添ったけれど会話すら成り立たなくなってしまった夫、弁護士として成功していたが子どもが巣立っていった孤独からQアノンを信奉しそれを拡散しようとする母親と彼女に間違いを認めさせようとした結果断絶してしまった子ども、バーニー・サンダースの選挙運動を通して知り合い婚約したけれど一方がサンダースを締め出した民主党全国委員会への不満からトランプに乗り換えQアノンの支持者となったカップル、姉妹として同じ貧しい家庭で育ったのに片方がブラック・ライヴズ・マターの活動家となり、もう片方がQアノン運動の宣伝を真に受けてBLM運動はジョージ・ソロスによって作り出された偽物でトランプこそ黒人の味方だと訴えるようになるなど、単に政治的意見の相違にはとどまらない、決定的なディスコミュニケーションが生じてしまっている。
Qアノンのようなカルト的運動に家族や親しい人がハマってしまったとき、頭ごなしに否定したり間違いを指摘するのではなく、話題を変えてカルト以外の部分で関係を維持することを目指すのが望ましい、とは言われているが、実際に愛する人がQアノンにハマり、とくに白人至上主義や人種差別、ユダヤ人差別、トランスジェンダー差別などを拡散する側にまわってしまった時、それをスルーして支え続けるのは難しい。またQアノンについての話題を避けようとしても、当人が繰り返し動画を見せようとしてきたり、新たな陰謀論を次々に見つけてきて説得しようとしてくる場合も多い。最終的に、自分を守るためにそうした家族との関係を打ち切らざるをえなかったり、あるいは相手の側からQアノンになびかない家族や親しい人たちが切り捨てられることも少なくない。本書に登場する家族のなかには、カルト対処の方法論的に正しい対応をした人も失敗した人もいたけれど、正しい対応を取れば良い結果が得られるというわけでもない。
心苦しい話が続くのだけれど、なかでも一番悲しいのは、上記の黒人姉妹のQアノンにハマった方。彼女には8歳の子どもがいるのだけれど、母親の言うことを信じ切った結果、学校でマスクの着用を拒否し周囲にQアノンの陰謀論を広めようとしてマスクをするまで登校を禁止された。その家では毎日のように悪の組織がアメリカを支配していて子どもたちの血を啜っている、という陰謀論の動画を見せられ、恐怖に怯えるとともに精神的なダメージを負っている。母親だって危険な世の中から子どもを守りたいだけなのに、Qアノン支持者によって作成されソーシャルメディアのアルゴリズムによって無責任に拡散された動画によってその子の子ども時代と普通の生活が奪われている。
本書に登場したQアノン支持者たちのなかには、今度こそはトランプが大統領に復帰してバイデンやオバマ、クリントンらを一斉逮捕する、という予告が何度も裏切られてついにQアノンへの信頼を失ったり、世界の真実より家族との関係のほうが大切だと思い直した人がいる一方、家族との関係を修復できないまま亡くなってしまった人もいる。Qアノン現象が生んだ社会的・政治的な影響について扱った書籍としてはWill Sommer著「Trust the Plan: The Rise of Qanon and the Conspiracy That Reshaped the World」やMike Rothschild著「The Storm is Upon Us: How QAnon Became a Movement, Cult, and Conspiracy Theory of Everything」があるが、本書はQアノンが一般家庭にもたらした被害に注目し、もし同じことが自分の家族に起きたらどうすればいいのか、どうすることができるのかと考えさせる内容だった。