
Reshona Landfair著「Who’s Watching Shorty?: Reclaiming Myself from the Shame of R. Kelly’s Abuse」
R&BシンガーR・ケリーによる性的虐待・児童性虐待記録物(いわゆる児童ポルノ)の被害について2019年からはじまった裁判で証言しかれに有罪実刑判決が下されるのに貢献したサバイバーによる自叙伝。彼女は2002年に流出したケリー自身が撮影した映像のなかで当時まだ14歳だったにもかかわらずケリーに性的行為を強いられていたが、当時はほかの多数の被害者と同じくかれによって沈黙を強いられた過去があった。
大金を持つ有名人による未成年の性虐待事件という意味ではいまだに関係者の責任追求が進まないジェフリー・エプスタインの事件と共通点があるが、エプスタインやその仲間たちによる虐待の被害者が書いたVirginia Roberts Giuffre著「Nobody’s Girl: A Memoir of Surviving Abuse and Fighting for Justice」が家庭内での虐待やその他の問題からトラウマを抱えた結果エプスタインやマクスウェルに狙い撃ちされたというある意味よくあるパターンであるのに対して、本書に出てくる話は特殊。でも分かる。
著者はミュージシャンの一家に育ち、幼いころからいとこらとグループを結成、幼い女の子が上手にラップをすることで人気を得たほか、学校でも成績優秀で、バスケットボールのチームでも活躍していた。R&Bミュージシャンである叔母がR・ケリーに見出され(というか実際には愛人契約のようか形で取り込まれ)たことをきっかけに著者もケリーのスタジオに出入りするようになり、また父親もケリーのレコーディングミュージシャンとしての仕事をするという、家族ぐるみの付き合いに。もともとイケてる女の子がR・ケリーほどの有名人と仲良くなり学校のバスケの試合をケリーが応援に来たり、、スタジオを訪れるほかの有名アーティストと触れ合ったりもしたら、舞い上がって当然。しかしケリーは自分の地位と財力を通して彼女をふくめた多数の未成年の少女や若い女性たちを性的に利用していた。
最初に著者がケリーと性的な関係にあることを指摘したのはケリーの愛人でもあった叔母。彼女自身がケリーと離れたタイミングでケリーが著者を性的虐待していることを告発したが、彼女は自分が捨てられたのを恨んで言いがかりをつけているのだろうと決めつけられ、また収入をケリーのスタジオでの仕事に依存している父親をはじめ一家もケリーのことを信じたかったために娘がケリーの言いなりに「そんなことなかった」と言うのをそのまま信じ込んだ。ケリーが自ら撮影していた著者との性行為の映像が流出した際にはさすがに否定しきれなかったけれど、突然のメディアからの取材攻勢や警察の取り調べを受け対処をしきれなかった一家は、ケリーの資金援助によってその危機を乗り越えるとともに、著者が大人になるのを待たなかったのは反省しているが本気で愛し合っているのだというケリーの言葉を受け入れ隠蔽に加担してしまう。
著者の一家はもともと彼女を虐待していたわけではないし、彼女に対する愛情を普通に持っていただけに、それがケリーの知名度や財力、業界内の権力によって歪められ、かれの犯罪を許容し隠蔽する方向に加担させられてしまう点は、とても息苦しい。のちに彼女の両親はケリーによって買収され自分の娘を売り渡したというバッシングを受けたが、著者はそれは全面的に正しくはないと主張する。かれらは進んで自分を売ったわけではなく、彼女のことを守ろうという気持ちはあったけれど、それがケリーの財力と権力によって押し潰されてしまい、その結果として彼女のことを守ってくれる人が誰もいなくなってしまった。残酷すぎる。
実はわたしは著者やケリーが住んでいたシカゴで性売買に関わる未成年や若い女性たちのためのグループ(かなり前に解散したけど)に関わっていた時期があって、そこで知り合った女性の一人が未成年のころにケリーによる性虐待の被害を受けたサバイバーのうちの一人だった。本書の著者も彼女もどちらも黒人女性だけれど、著者を守るには不十分で不完全だったとはいえ愛情のある家庭に育った著者と違い、わたしが出会った女性は幼いころからまともな家庭に恵まれずさまざまな暴力を受けていた人で、わたしの中では後者のほうが典型的なパターンに感じられるのだけれど、普通に虐待のない、愛情のある家庭というだけでは財力と権力を振り回す加害者から子どもを守ることはできないのかと思い知らされる。