Héctor Tobar著「Our Migrant Souls: A Meditation on Race and the Meanings and Myths of Latino」

Our Migrant Souls

Héctor Tobar著「Our Migrant Souls: A Meditation on Race and the Meanings and Myths of Latino

グアテマラ移民の子どもとしてロサンゼルスで生まれ育った作家が、ある時はアメリカに不法入国して犯罪を犯す犯罪者として、ある時はアメリカが必要としている底辺労働を担う労働力として想像される「ラティーノ」「ヒスパニック」というカテゴリについて、著者個人の経験や著者が教鞭をとる教室におけるラティーノの学生たちの会話、アメリカの植民地主義と人種差別の歴史や昨今の出来事を横断して考察する本。

アメリカ合衆国において一般的には人種の一種と見なされながら国勢調査では人種とは区別された「民族」として扱われるラティーノやヒスパニックとはどういうカテゴリか。それは、植民者である白人と先住民や奴隷として連れてこられた黒人たちを区別するために作られた北米特有の人種システムが、アメリカによる侵略戦争とメキシコからの領土割譲によってアメリカ国内に取り込まれた、北米のそれと同様に白人を頂点に置きながらより曖昧なしたがって複雑な形に発達した中南米の人種システムとのあいだに不整合を起こし、混乱したまま北米の人種システムに中南米の人種システムを飲み込む際に生まれた矛盾に満ちたカテゴリだ。

前述のとおり北米においてラティーノは黒人やアジア人のように人種的マイノリティとして扱われがちだが、実際には少なくないラティーノやヒスパニックは自分のことを白人と認識している。と同時に多くのラティーノの家族は白人だけでなく黒人や先住民、中国系などさまざまな人種や民族の祖先が混ざりあったメスティーソ(白人と先住民のミックス)やムラート(白人と黒人のミックス)の系譜に繋がっているが、しかしTanya Katerí Hernández著「Racial Innocence: Unmasking Latino Anti-Black Bias and the Struggle for Equality」にも書かれている通り、肌の色やその他の人種的な特徴によって白人に近ければ近いほど有利になり黒人に近ければ近いほど不利になる深刻なカラーイズムが根付いていて、同じ家族の中でも、兄弟姉妹の中でも、肌の色を理由に異なる扱いを受けたりする。

本書はカラーイズムや政治家による差別的な移民排斥の扇動、移民や旅行者の規制により引き裂かれる家族、リベラル白人によってかわいそうな弱者として扱われることに抱く不満、メキシコの芸術家フリーダ・カーロのアメリカでのアイコン化とドイツ人の父を持つ彼女が先住民文化の意匠で認知されることの問題、国境の過酷な砂漠を越えようとして衰弱死する多数の移民たちなどさまざまな話題を取り上げ、ときに詩的な文体を取り入れつつ、慎重な考察を重ねていて度々考えさせられる。Gloria Analdúaのボーダーランド論やJosé Esteban Muñozのユートピア論などラティーノの論者によるフェミニズムやクィア理論も議論にきちんと組み込んでいるのもプラス。