Harrison Browne & Rachel Browne著「Let Us Play: Winning the Battle for Gender Diverse Athletes」
カナダの女子プロリーグで活躍した過去のあるトランス男性ホッケー選手とジャーナリストの姉による共著。トランスジェンダーやノンバイナリーのアスリートたちの実際の経験とそこから乖離した「トランスジェンダー選手のスポーツ参加」をめぐるモラル・パニックを対比させ、より多くの人たちに開かれたスポーツのあり方を訴える。
トランス女性の女子スポーツ参加については、普段トランスジェンダーの人たちに好意的なリベラルの人ですらデータや実態を知らないまま直感的に「排除は許容できる」と言うことも多く、トランスフォビアに戦略的に便乗し自らの権勢を広げようとする国際的な極右権威主義勢力がリベラルのあいだに亀裂を生み付け入るための絶好のポイントとなっている。そういうなか、本書はMichael Waters著「The Other Olympians: Fascism, Queerness, and the Making of Modern Sports」に書かれていたような歴史的背景とともに、多数のトランス男性、トランス女性やノンバイナリーのアスリートたちの声を取り上げ、トランスジェンダー選手に対するバッシングが妥当性に欠けているばかりか実際に競技に参加しているトランスジェンダー選手の比率に対してまったく釣り合わない過剰なモラル・パニックであることが示される。
トランス排除派からは「女子スポートを守れ」という声が挙がっているが、現実にトランス女性の競技参加者はごく少数だし、その少数の選手たちもシス女性選手を圧倒するような成績を叩き出してはいない。生育期に平均的な女子より多くのテストステロンを浴びた影響はもちろんあるが、それが競技において優位性に直接繋がるわけではない。またシス女性の中でもテストステロン値には差異があり、それは生育期の栄養状態やスポーツ参加の機会の差異などほかのさまざまな差異と比べて特に大きいわけでもない。たとえば早生まれの子どもは同級生より成長が早いため幼いころからコーチに目をつけられ特別な訓練を受けたり競技に参加する機会をより多く与えられるが、その影響は大人になるまで蓄積され、トップ競技者のあいだでは生まれた月に大きな偏りがあるほど。さらに、高いテストステロン値を持つ選手の参加は不公平であるとしてキャスター・セメンヤ選手ら主にアフリカやアジアの女子選手が参加資格を問われたり奪われたりしているが、テストステロン値が平均より高い男子選手をはじめ、その他のさまざまな生まれつきの身体的な優位さを持つ選手たちは一切問題視されないことからも、トランス女性選手に対する攻撃がフェアネスとは無関係なことが分かる。
そもそも女子スポーツ擁護を口実にトランス女性排除を主張する人たちの大半はそれまで女子スポーツになんの関心も持っていなかった人たちで、むしろ女子スポーツを男子スポーツと対等に扱うよう定めた法律を批判していた。実際の女子選手たちは女子の競技環境や報酬を男子と対等にしろ、年上の男性指導者による若い選手に対する性虐待を隠蔽するな、と長年訴えててきたが、実際に女性のスポーツ参加機会を奪い選手生命を脅かしているこうした問題よりごく少数のトランス女性選手の存在をことさらに騒ぎ立てるのは、女子スポーツ擁護以外の理由があることが明白。
本書では最後に元プロからアマチュアまでさまざまなレベルでホッケー競技に参加したトランスジェンダーやノンバイナリーの人を集めたチーム・トランスの試みについて触れられる。全国から多くの人たちが集まるこのイベントでは、スキルレベルに応じていくつかのチームにわかれ、それぞれゲイ選手のチームなどと練習試合を行う。トランスジェンダーであることを隠して競技に参加していた人もトランスジェンダーであることをカミングアウトしてチームに受け入れられて参加していた人も、ロッカールームではいつも不安に感じていたけれど、このイベントでははじめて不安を感じることなくほかの選手たちと一緒にロッカールームを使うことができるなど、トランスジェンダーやノンバイナリーの選手たちが本当の意味で平等にスポーツに参加できたとしたらこうなるんだ、というイメージを抱かせてくれる。と同時に、これはあくまで年に一度程度行われるお祭りであり、トランスジェンダーだけを男子でも女子でもない別のカテゴリに押し込めようとする一部の政治家や競技団体の方針を肯定するものではない。
本書はトランスヘイトに対する分析も重要だけど、自伝「The Race to Be Myself: A Memoir」を出したセメンヤさんはじめ、「Make It Count: My Fight to Become the First Transgender Olympic Runner」のCeCé Telferさん、「He/She/They: How We Talk About Gender and Why It Matters」のSchuyler Bailarさん、わたしの知人でもあるトランス男性プロボクサーのパット・マヌエルさん、わたしの地元シアトルのプロサッカー選手にしてカナダ代表金メダリストのクィンさんら、トランスやノンバイナリーの選手、そしてトランスでもノンバイナリーでもないけどモラル・パニックに巻き込まれた女子選手たちが多数登場しているのも魅力。トランスジェンダー選手のスポーツ参加について、世間の偏見に影響された直感で変なことを言わないように、そしてそういう偏見に反論するために読んで。