Gulchehra Hoja著「A Stone Is Most Precious Where it Belongs: A Memoir of Uyghur Exile, Hope, and Survival」

A Stone Is Most Precious Where it Belongs

Gulchehra Hoja著「A Stone Is Most Precious Where it Belongs: A Memoir of Uyghur Exile, Hope, and Survival

東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)の首都ウルムチ出身で中国政府によるウイグル人に対するジェノサイドを告発してきたウイグル人女性ジャーナリストの自叙伝。

著者が生まれたのは、祖父は有名な伝統音楽の音楽家、父は考古学者では母は医者という恵まれた知識人の家庭。幼いころから伝統的な歌や踊りを教えられ、また学校では教えられないウイグルの本当の歴史や文化について教わる。当時の東トルキスタンは中国政府の支配下にあり漢人の入植者が政治や経済の実権を握るなどしていたとはいえ、文化大革命からの揺り戻しで自由化の風潮があり、そこそこ自分たちの宗教や文化を営む自由はあった。しかしそれはあくまで中国政府と漢人文化の優位性を脅かさない限りにおいてであり、ウイグル文化は古臭い遅れた文化として扱われ、エキゾティックなエンターテインメントとして漢人向けに宣伝されていた。

成績優秀な著者は、安定した教師としての仕事のオファーを蹴り地元の公営テレビ局への就職活動をして、採用される。そこで彼女は、本来の仕事の合間にウイグル人の子どもたちに伝統的な歌や踊り、昔話などをウイグル語で紹介する番組のパイロットを製作し、上層部に認められる。シリーズ化した番組内では、なぞなぞを出して答えを葉書で募集する企画や、ウルムチから離れた田舎を回って現地の子どもたちと触れ合う企画など次々に新しいアイディアを出し、彼女はテレビの顔として広く知られるようになる。はじめのうちは、子ども向けの番組として製作することで、ウイグル文化を保存し人々に知らせる活動は中国政府の検閲を逃れることができた。

しかしある時点からテレビ局に派遣された中国共産党の係官から番組の内容にたびたび注文が入るようになる。普遍的な教訓を伝えるウイグルの昔話を紹介した回が「これは中国共産党への批判ではないか」と疑われ次からは事前にどういう話を流すのか知らせろと言われたり、ウイグル人と漢人の子どもが仲良くする内容にしろ、ウイグル語ではなく中国語で番組を作れ、など次々と共産党からの指示が入る。しまいには彼女は中国政府によってはじめられた、ウイグル人の子どもを親から引き離して漢人社会で一定期間育てるプログラムを称賛するような内容を放送するよう強要される。子どもを引き離された親や親から引き離された子どもの悲しみをよそに、中国共産党はウイグル人の子どもたちのことをこんなにも愛していて、だからかれらに最高の教育を与えるためにこうしたプログラムを行っています、と。親から引き離されて家に帰りたいと泣く子どもに演技指導をして、故郷とは見違えるような大都市に来れて幸せだ、と番組内で言わせる日々。著者は自己嫌悪を感じながら、それでもほんの少しでもウイグル文化を次世代に伝えられるなら、と番組を続ける。

転機はオーストリアに留学中の夫に離婚を迫るためにかれを訪れたこと。すでに当時ウイグル人がパスポートを取って海外に渡航することは難しかったけれども、公営テレビ局のコネもあり、夫を訪問するためという理由でオーストリアに行くことができた。もともと夫とは結婚自体やめたいと思っていたのだけれど、親に押し切られて結婚した経緯があったが、やはりどうしても耐えられないと感じたので離婚を切り出したところ、一度会って話をするべきだと言われて出国。現地の言葉をしゃべれない著者は、夫のアパートではじめて検閲されていないインターネットに触れ、中国の外に住むウイグル人たちの声を知る。そこであらためて著者は自分や自分の家族、ほかのウイグル人たちがどれだけ不自由な暮らしを強いられているのか、そして自分自身テレビの画面を通してそうした人権侵害に加担してきてしまったのか自覚。父親の知り合いだったアメリカのラジオ・フリー・アジアで働くウイグル人ジャーナリストに連絡を取り、同局で仕事ができるようにしてもらう。

著者がアメリカにたどり着いたのは、9/11同時多発テロ事件勃発のすぐ後。アメリカ政府がはじめた「テロとの戦争」に協力する体で、中国政府はウイグル人活動家たちをテロリストだと決めつけ、弾圧を強化していく。パキスタンでは複数のウイグル人がアルカイダの協力者の疑いがあるとして米軍に捕まりグアンタナモ収容所に送られ、かれらへの尋問には中国政府の関係者も参加したが、最終的にテロリズムに関与した証拠は見つからずかれらは釈放された。新疆ウイグル自治区ではウイグル人たちは身分証明書を見せなければ買い物すらできないようになり、ウイグル語で会話する人たちやヒジャブを着けたりスカートが長すぎる女性や髭をはやしている男性が分離主義者、宗教過激派、テロリストだとして収容所に入れられたりするように。著者の母親は「娘に帰国するよう説得する」という条件でアメリカまで著者を訪れに来るが、それが不可能だとわかると母はパスポートを没収された。

新疆ウイグル自治区に大規模な強制収容所が存在することを、実際に収容所を経験したウイグル人たちの証言とともにはじめて報道したのは著者だった。その直後、彼女の家族や親戚一同が一斉に中国政府によって連れ去られ、収容される。著者は家族を解放してくれるなら自分は帰国する、自分の報道によって苦しむのは自分だけでいい、と言うが、あなたが帰国しても家族が釈放されるとは限らない、あなたが家族を守る貯めにはアメリカにいなければいけない、と説得され、全世界に向けて家族の釈放を求めるメッセージを送る。ジャーナリストとして客観的にありたい、自分の個人的な都合や思いは一旦切り離して事実だけを伝えたいと思っていたのに、中国政府は彼女にそれを許してはくれなかった。そののち、共通の知人などから伝え聞くところによると家族の少なくとも何人かは釈放されたけれども、かれらに危険が及ぶのでもはやかれらに彼女から連絡することもできない。

ウイグル人に対するジェノサイド、というと、中国化教育や弾圧による文化の破壊、大規模な強制収容とそこでの暴力、極端な監視社会化、女性に対する同意に基づかない不妊手術など、明らかに過酷な人権侵害が思い浮かぶけれども、本書を読むとそれらがある日突然起きたことではなく、もともとあったウイグル文化に対する偏見や蔑視や漢文化中心主義から段階を経て加速していったことがよくわかる。それは、現時点ではそこまで酷くないように見える(というのもわたしの主観でしかないけど)アメリカや日本の自文化中心主義や先住民文化に対する弾圧もいま中国で起きていることと全く別の問題ではないという意味にもなる。また、それぞれの段階で、不自由ながらもウイグル人たちが政府の目を盗んでお互い助け合ったり、不完全な形であっても自分たちの文化を守ろうとしてきた様子など、圧倒的に困難な状況における抵抗も知ることができた。伝統的な歌や踊りに触れた子ども時代の思い出からウイグル人の子どもたちに文化を伝えようとしたテレビ局時代、オーストリアでも大きな気付きと予定していなかった家族との別離など、自叙伝としてもとても感情移入ができた。