Genevieve Guenther著「The Language of Climate Politics: Fossil-Fuel Propaganda and How to Fight It」
気候変動に対する有効な対策を阻止しようとしている石油業界などが、気候変動の科学を否定するだけではなく、気候変動の議論に使われる言葉や概念をコントロールすることで議論の幅を狭めていることを指摘し、そうした戦術への抵抗を訴える本。
著者によれば、気候変動対策を妨害しているのは、単純に気候変動の事実やそれを人類の経済活動が起こしていることを否定する、いわゆる気候変動否定論だけではない。気候変動による広範な悪影響を訴える科学者たちを警戒論者だと名付けたり、その影響を抑えるために必要な政策はコスト効率が悪いとか、技術革新によって解決できるとか、欧米だけがそうした政策を採用したところで中国やインドが温暖化ガスの排出を続ける限り意味がないと言うなど、気候変動と人類がその原因であることを認めているはずの人たちもが気候変動対策を実施させないためのプロパガンダに惑わされ、現状維持を許容する方向に議論が逸らされている。
本書は新古典派経済学による気候変動対策のコスト計算の間違い、たとえば農業は経済全体から見てごく小さなセクターに過ぎず仮に気候変動により農業にダメージがあったとしてもそれを上回る経済成長があれば全体としてはプラスになるといった数字上のトリックなどを批判するとともに、メディアの現状バイアスが気候変動の影響を訴える科学者たちを萎縮させている現状を指摘。「わたしたち人類」といった表現で先進国の、あるいは資本家たちの責任を誤魔化し、まだ存在していない、あるいは存在していてもスケールする見込みが立たない技術革新に期待したり、困難に打ち勝つレジリエンスの概念を悪用し気候変動を阻止あるいは鈍化させるのではなく人間社会の側を気候変動に対応させる(環境難民の発生を予防するのではなく、先進国から難民をシャットアウトするなど)非人道的かつ非合理的な手段を取ろうとする議論を次々と批判する。
根底にあるのは、気候変動の事実を否定する否定論者だけでなく、気候変動の科学を受け入れている先進国の人たちが、仮に気候変動がこのまま進行しても自分たちだけは経済成長の恩恵と快適な生活を享受し続けることができる、という、根拠のない希望的観測に、石油産業など気候変動対策に反対する業界が付け入り、有効な対策の実施を押し留めている事実。本書で指摘されているような、否定論者より危険な議論の枠組みや言葉の用法には注意したい。