Erin L. Durban著「The Sexual Politics of Empire: Postcolonial Homophobia in Haiti」
少なくとも10万人、多ければ30万人以上の犠牲者を出し、現在も続く政情不安にも繋がっている2010年の大震災いらい、国際援助に乗じてハイチでの活動を活発化した米国の福音派キリスト教団体や国際LGBTQ団体がハイチに住む性的マイノリティの人たちに及びしているていこくて主義的な権力行使の影響についての2023年の本。
The Sexual Politics of Empireハイチは1804年に黒人奴隷たちの蜂起によりフランスから独立した世界初の解放奴隷国家だが、他国から国家承認を得られず、またフランス人から奪った「資産」(黒人奴隷たちの労働力そのもの)への巨額の賠償金支払いをフランスによる再侵攻の脅しのもと強要されたり、白人による分離独立戦争が起きるなど、国際的に孤立し困難な歴史を辿った。債務の支払いを実行させるために米軍が数十年にわたる占拠と支配を行ったり、アメリカなど他国の関与が疑われるクーデターや政変などが繰り返し起こり、2010年の大震災以降はさらに政治的混乱が深まっている。そうしたハイチの混迷に対し、欧米はスペイン系白人たちが起こした戦争によってハイチから独立を果たしたドミニカ共和国と比較し、やはり奴隷だった黒人には国を運営することはできないと見下す。
文化的には、奴隷とされた黒人たちがアフリカから伝えたヴードゥー教にフランス人が持ち込んだカトリックの教えが習合し独自の発展を遂げたが、ハイチにおけるヴードゥー教の重要な要素であるゾンビの表象がハイチを占領したアメリカによってハリウッドに伝えられホラー映画の断罪として面白おかしく利用されるなどした。カトリックの教えは同性愛に対して否定的だが、ゾンビという両義的な存在を許容するヴードゥー教文化の影響もあり、多くの人の身内に同性愛者がいること自体は静かに許容されていた。実際、現地の性的マイノリティの運動のなかでは、ゾンビの表象を使った演劇などを通して自分たちの主張を広めようとするものもある。
2010年の大震災をきっかけにハイチに進出した海外の援助機関の多くはしかし、カトリックではなくプロテスタントの福音派キリスト教系団体。テレビ伝道師のパット・ロバートソンがハイチはフランスから独立するために「悪魔と手を握った」として災害や政治的混乱は同性愛に許容的な文化に対する神の罰だと発言したことに象徴的なように、かれらは震災と同性愛を結びつけ、同性愛者に対する迫害を扇動する。かつてHIVはハイチにおける野蛮なセクシュアリティによって広まりハイチ移民からアメリカに持ち込まれた、という間違った説が宣伝されたが、震災以降さらにそれが進んだ形となった。
ハイチにおけるホモフォビアやトランスフォビアの拡大に危機感を感じたアメリカなどの国際LGBTQ運動は、被災したハイチのLGBTQコミュニティへの支援を呼びかけ、支援を行った。しかしそれは、それまでハイチには存在しなかった「LGBTQ」のちに「LGBTQI」というアメリカの概念やアメリカの非営利団体型の運動を押し付けることとなり、もともとハイチにあった同性愛者やその他の性的マイノリティのコミュニティを変容させた。アメリカの基金からの資金を得るための書類や用途報告のために本書の著者を含むアメリカ出身者やアメリカに留学していた人などの役割が重視され、そういう人がいない団体は資金を受けられなかったり、報告義務を果たさなかったとして資金を打ち切られたりした。またアメリカの支援団体は、ハイチの人たちが直面しているホモフォビアやトランスフォビアがハイチの土着の文化に根ざしたものであると決めつけ、それがアメリカの福音派キリスト教団体によって計画的に持ち込まれていることを軽視した。
本書で批判されているアメリカのLGBTQ団体の一つはアストレア・レズビアン財団なのだけれど、この財団はアメリカのLGBTQ支援組織のなかでは最もアフリカを中心に国際的な支援に力を入れているところであり、またインターセックス運動に対する支援を目的とした基金を運営しているおそらく世界で唯一の財団でもあり(だからハイチで「LGBTQI」というインターセックスを含めた略称が広まってしまったのだと思う)、わたしは一目置いている。しかしアメリカの中では良い方だと思えるそうした団体でも、支援を受ける側から見ると違って見えるのはもっともだし、実際に本書が指摘している形で帝国主義的な権力を行使しているのも事実。批判を受けない一番簡単な方法はそもそも支援をしないことだと思うけれども、それでは誰も救われないので、支援団体の人たちには本書の批判をきちんと受け止めてほしいと思う。