Erik Piepenburg著「Dining Out: First Dates, Defiant Nights, and Last Call Disco Fries at America’s Gay Restaurants」
ゲイやクィアなレストランの歴史についての本。著者はニューヨーク・タイムズ紙で文化関連の記事を担当するライター。
本書が言うところのゲイなレストラン、クィアなレストランというのは、ゲイやクィアたちが自然と集まりコミュニティの一部となってきたレストランの数々。必ずしもクィアだけを歓迎するわけでもないし、オーナーやシェフがゲイだというわけでもなく、ゲイやクィアたちがそこを自分たちの場として、楽しい時も悲しい時も集まり食事をし、時には馬鹿騒ぎもしたスペースを指している。
20世紀中盤までのアメリカでは、同性間の性的行為や異性装とみなされる格好が犯罪として取り締まられていただけでなく、同性愛者であると他人から分かるような行為がタブーとされ、同性カップルとみなされた人たちがレストランやバーで接客拒否されたり、一人ずつ別の席に座らないと食事を出せないと言われたりしていた。そういうなか同性カップルでも安心して食事が出来るレストランは貴重で、そうした場所は噂が広まり少しずつコミュニティの基盤となっていく。LGBTコミュニティを取り締まろうとする警察への反乱として広く知られるストーンウォールやそれ以前に主に非白人のトランス女性たちによる反乱が起きたとされる(しかし当事者の証言以外の史料が乏しいために一部の歴史家たちからは実態が疑われている)コンプトン・カフェやクーパー・ドーナッツなど、ようやく見つけた居場所を守るための闘争が引き金となり、LGBT権利運動は拡大していく。
LGBTコミュニティの社会的認知が高まるにつれ、それまで隠れて行われていたドラァグショーが異性愛者向けのエンターテインメントとして需要されるようになり、ドラァグクィーンのショーを観ながらブランチを食べられるレストランやドラァグクィーンが接客をするレストランが観光地にもなる。LGBTコミュニティが異性愛社会に発見され消費されるようになる先駆けだが、続いて起こったHIV/AIDS危機によって状況は一変。ゲイの人はみんなエイズにかかっている、エイズにかかっている人と一緒に食事をしたら感染する、という科学的事実に反した偏見が広がり、シェフがゲイだという噂が立つだけで「もしミスで指を切って血液が食事に混入したらエイズに感染してしまう」という根拠のない不安から客足が遠のくほど。いっぽう実際に仲間を次々に亡くしていくゲイたちは、死を目前にして最後の楽しい食事をしたいという患者とともに集まったり、毎週のように参列する葬式のあとに仲間と集まるといった形で、レストランに新たな役割を与えていく。
現代のクィアコミュニティは20世紀に比べてジェンダーやセクシュアリティの境界が少なく、ゲイやレズビアンといった個々のアイデンティティに向けたレストランは少なくなっている。LGBTコミュニティにも子育てをしている人は増えていてファミリー向けとLGBT向けのレストランは分断されていないし、LGBTではない人も怖いもの見たさの観光客気分ではなく普通にゲイバーやクィアなレストランを訪れるようになっている。しかし同時に進行したデリバリーアプリの普及とレストランのプライベート・エクイティによる寡占により、独立したレストランの経営がさらに厳しくなっているのも確か。ふたたびトランスジェンダーへのヘイトを通してLGBT全体への偏見を広めようとする政治的な動きも起きているいま、ファビュラスでクィアなレストランをコミュニティの基盤として守っていくのは大切だと思った。
個人的に衝撃だったのは、ゲイたちが集まるバスハウス(公衆浴場、時にハッテン場)に食事メニューがあったという話とか。性欲と食欲を同時に満たすのねすごい… あと残念ながら、やはりゲイ男性向けのレストランの話が多くて、レズビアン系のレストランの扱いが小さいというか、レズビアン系のレストランってビーガンだったり無農薬やフェアトレードだったり思想的なやつが入ってきがちで、そういうのを求める人にとっては嬉しいけど、単純にそれほど美味しそうな感じはしない件。てゆーかレズビアンはバーでもレストランでもなくコーヒーハウスでしょ(個人的経験に基づく偏見)、誰かレズビアンコーヒーハウスについての本書いてくれ。しかしレズビアンレストランと言えばポートランドのOld Wives’ Talesが閉店してからもう10年以上たつのか… あそこの名物だったマッシュルームスープおいしかったのに。