Charles L. Marohn, Jr. & Daniel Herriges著「Escaping the Housing Trap: The Strong Towns Response to the Housing Crisis」
アメリカの街の再生を目指すプロジェクト「ストロング・タウンズ」を主催する市民工学者による三部作の三作目にして、住宅開発の問題に切り込む本。二作目である前著「Confessions of a Recovering Engineer: Transportation for a Strong Town」では交通網の設計についての議論にとても説得力があったので、本書も期待して読んだ。
タイトルにある「住宅の罠」とはなにか。それはアメリカにおいて住宅が人々が生活する場所であるとともに、中流以上の家庭による資産形成の手段であることから生じているものだ。住宅はそれ自体が売買される商品でもあるが、第二次世界大戦後に政府が政策的に(白人たちに)一軒家を所有することを推奨したなかで、実際の住宅市場よりはるかに大きく影響力のある住宅ローンの市場が形成された。しかし当初そうしたローンは地方の小さな金融機関による貸し出しであることが多く、それらの金融機関にはそれほど資金力がなかったため住宅ローンの需要に応えられなかったので、連邦政府がローンの返済を保証したりいざというときは買い取ったりする仕組みが張り巡らされる。またリスクヘッジのために多数の住宅ローンをバンドルしたうえで細切れにする金融商品が開発されると、さらにそれをバンドルして小売りにするなど不透明な金融商品が増えたが、個々の金融機関が責任を持ってローンの審査を行うのではなく格付け機関に頼るようになり、格付け機関と金融商品を開発する金融機関の癒着が生まれる。むかしの住宅ローンは、地元の金融機関が借り手の返済能力をきっちり審査し、返済されなかった場合のリスクを負ったうえで貸し出していた。しかしいまでは、コンピュータのアルゴリズムによって遠方の金融機関によって住宅ローンの審査が行われ、すぐに債権化されて売り払われるので、地元との繋がりが失われている。
こうした住宅の金融化により住宅ローンの市場は膨らみ続け、返済能力がない人にまでサブプライムローンを組んで家を買わせ、住宅の市場価格上昇によって生まれた含み利益をその返済に回すといった錬金術が広まったが、2008年に住宅バブルが崩壊して深刻な金融危機が発生し、多くの人たちが持ち家を失ったのはよく知られている通り。問題は、住宅バブルの崩壊が住宅市場だけでなく経済全体を壊滅させかけた(ブッシュ政権の金融政策担当者がナンシー・ペロシ下院議長に土下座に近いことをして大規模な救済を通してもらったのでなんとか最悪の事態は避けられた)こと。それは、多くの人々が住宅を個人的な資産形成の手段としていただけでなく、年金ファンドなど安全な運用が求められる大手機関投資家たちも住宅ローン債権に頼り切っていたから。こうした構図は、2008年の金融危機を乗り切った今も変わっていない。
アメリカの住宅問題、すなわち都市部におけるホームレス人口の増加や家賃の高騰が解決しない大きな理由の一つは、住宅の供給を増やして家賃を下げると経済が崩壊するからだ。局地的に家賃が下がることはあっても、広範囲において住宅の供給が増えることは家賃、そして住宅価格の下落を招き、住宅ローン債権の利回りを低下させる。アメリカ経済の安定性が住宅ローン債権によって生み出される利益に依存している以上、住宅価格の低下をもたらす政策が安定的に実施されることはありえない。というよりそれを政府や経済界が許容しない。
また、住宅が生活の場であると同時に一般市民にとって最も身近な資産形成の手段であることは、住宅の供給を増やすための政策がすでに住宅を所有している人たちの抵抗を常に受けることも意味している。アメリカの都市部のかなりの部分は一軒家以外の住宅の建設が認められておらず、床面積や高さ、駐車場設置義務などさまざまな規制によって複数の世帯が住む共同住宅を建てることがほぼ不可能な状態にある。新たな共同住宅の建設が提案されると、近隣の住民たちが騒音や交通量の増加、犯罪の不安などとともに、自分たちが所有している不動産の価格下落を心配し、反対運動を起こすことが少なくない。共同住宅の建設によって利益を得るのは将来の住民たちだが、かれらはまだそこにいないので、政治的になんの力も持つことができない。現存するさまざまな規制は、既に家を持っている住民たちという既得権益者にとって有利にできていて、住処を賃貸している人、賃貸するだけの余裕がない人、新たに住居を買いたいと思っている人たちなどが不利なままだ。
後者の問題については、Gregg Colburn & Clayton Page Aldern著「Homelessness Is a Housing Problem: How Structural Factors Explain U.S. Patterns」、M. Nolan Gray著「Arbitrary Lines: How Zoning Broke the American City and How to Fix It」、Henry Grabar著「Paved Paradise: How Parking Explains the World」、Richard D Kahlenberg著「Excluded: How Snob Zoning, NIMBYism, and Class Bias Build the Walls We Don’t See」などでも繰り返し論じられているが、本書はそれに加えて住宅ローン債権が経済全体の安定を支えている点を指摘していて興味深い。
著者はアメリカにおける住宅の歴史を振り返り、戦場から帰還した(白人)元兵士たちの住宅購入を後押しし郊外化を推し進めた第二次大戦後のアメリカ政府の住宅政策が歴史的に特殊であることを指摘する。ヨーロッパから来た貧しい移民たちは、まず親戚や同郷の知り合いたちを頼って居候させてもらい、その後空いている土地にありあわせの材料で自分の家を作ってきた。それらの住宅の多くは安全性に乏しく、不健康だったりすぐ壊れてしまったりしたが、そうしてとりあえず暮らせるだけの家を作り、余裕ができてきたらよりしっかりした家を作るのが普通だった。著者はさすがにそうした危険で不健康な住宅を認めろとは言わないが、既にある家を増築したり、裏庭に新たに小屋を建てたり、あるいは家の中の使っていない部屋をアパートに改築して貸し出せるようにするなど、小さな改善を可能にするような規制緩和を主張する。
かつてアメリカでは住宅不足への解決策として政府が巨大な公営住宅群を建設したが、貧しい人たちだけ一箇所に集め、政府がまともなメインテナンスもしないまま放置した結果、麻薬や犯罪に席巻され、そこを抜け出せる人は我先にと引っ越して行った結果、公営住宅の環境は悪化の一途をたどった。そうした巨大プロジェクトに期待するのではなく、既にある住宅を改築・増築することでそこに住める人を増やし、また所有者がそこから家賃収入を得られるようにするというのが著者の考え。それはトップダウンの計画ではなくボトムアップの住宅建設という意味で、第二次世界大戦以前の伝統的な住宅のあり方に近い。たとえば子どもが巣立って部屋が余っている人が自宅の一部をアパートにして貸すとした場合、政府がその改築にかかるコストをローンとして貸し出し、住人増加による税収と将来的に家が売却されたときの売却益から返済させるということが考えられる。民間の金融機関はそんな面倒なローンを貸し出そうとは思わなくても、政府ならそれができるし、返済を何十年と待つことも可能。
小規模なデベロッパーがお互い支え合って小さな開発を行っている例としてインディアナ州サウスベンド市の取り組みが紹介され、当時のピート・ブーティジェッジ市長が登場してきて驚いた。おそらくブーティジェッジの成果というのではなくたまたまそういう取り組みがあったときに市長だったというだけだと思うのだけれど、それでもそういう都市開発を市長として目の当たりにしたことはかれにとって貴重な体験になっていると思いたい。ハリス政権では住宅都市開発長官どうですかピート?