Anupreeta Das著「Billionaire, Nerd, Savior, King: Bill Gates and His Quest to Shape Our World」
典型的な非社交的なナードから天才的なプログラマーで経営者、独占企業の暴君、世界の貧しい人たちの命を救う救世主、そしてパンデミックを起こしワクチンを通してマイクロチップを人類に埋め込み支配しようとする悪人まで、激しいイメージの変遷を経てきたビル・ゲイツと、かれに代表されるビリオネアたちについての本。
ビル・ゲイツの慈善事業やそれと関連したさまざまな言動への批判は先に紹介したTim Schwab著「The Bill Gates Problem: Reckoning With the Myth of the Good Billionaire」のほうが詳しいが、本書はビル・ゲイツならびかれの盟友ウォレン・バフェットやその他のビリオネアたちの考え方やそれに対する世間の目についてより広く押さえている。
また、マイクロソフトおよびゲイツ財団における女性への差別やセクハラの文化、ビル・ゲイツによる度重なる不倫やジェフリー・エプスタインとの関係と、それに愛想を尽かして離婚したメリンダ・フレンチ・ゲイツについての記述も多く、ひとまとめにして語られることの多いフレンチ・ゲイツとマッケンジー・スコット(アマゾン創業者のジェフ・ベゾスと同時期に離婚)の慈善事業に対するスタンスの違いも指摘されていておもしろい。ゲイツやフレンチ・ゲイツは効果的利他主義者ではないけれど、データ重視の姿勢(すなわちデータとして目に見えやすい物事への偏重)やトップダウンの解決策の押し付けなどの問題は共通しており深刻。
アメリカの世論は成功者個人については憧れ尊敬する傾向が強いものの、ビリオネアとひとくくりにすると「もっと税金を払わせるべきだ」「お金に物を言わせて政治に口を出すのは許せない」と反発する傾向がある。かねてから感染症対策に取り組んでいて、とくにワクチン開発という技術的解決策に執着していたビル・ゲイツがコロナウイルス・パンデミックを契機に広まった陰謀論においてラスボス認定されてしまったのは気の毒だけれど、そうなったのには世間にビリオネアたちに対する潜在的な不信感がもともとあり、医療関係者でもないのにパンデミック対策で大きな顔をするゲイツにその不信感が集中したという説明は納得がいく。
あと本書がおもしろいのは、アメリカにおける男性性のパターンとしてかつてのゲイツが「ナードだけど天才で金持ち」という新しいバージョンを提示したことを指摘していること。実際そのステレオタイプはシリコンバレーで地位を確立し、その結果女性やクィアたちが活躍する機会を奪うことになったほどだけれど、近年ナードたちがマッチョに転向する傾向が強くなっていることに本書は触れている。その典型が、かつては見るからにナードな風貌だったのにいつの間にかブラジリアン柔術や総合格闘技の訓練をして試合にも出ているマーク・ザッカーバーグであり、かれと総合格闘技のリングで決闘を行おうと提案したイーロン・マスクなわけだけど、ミソジニーという軸は一貫している。ゲイツ自身はマッチョではなく賢人のイメージでノーベル平和賞受賞を狙っているのでこの話は本書のメインの部分ではないけど、個人的にはとてもおもしろいと思った。