Andy Borowitz著「Profiles in Ignorance: How America’s Politicians Got Dumb and Dumber」

Profiles in Ignorance

Andy Borowitz著「Profiles in Ignorance: How America’s Politicians Got Dumb and Dumber

リベラルの立場から書かれた政治風刺偽ニュースサイトBorowitz Reportで知られる作家が持ち前のユーモアを活かしつつ真面目に書いた本。アメリカの政治家がどのようにしてどんどん愚かになってきたかというタイトルだけれど、著者が実際に言わんとしているのは政治家の知性や学歴・知識の水準がどう低下してきたかではなく、知的好奇心や知的向上心がどのようにして政治家にとって長所ではなくむしろ短所とみなされるようになったかという話。

本書で扱われているのはロナルド・レーガン大統領、ダン・クエール副大統領、ジョージ・W・ブッシュ大統領、サラ・ペイリン副大統領候補、そしてもちろんドナルド・トランプ大統領に至る、知性に疑問を抱かれてきた共和党の政治家たち。もちろん民主党にもバカな政治家はいたけれど、その多くはセクハラや不倫といった方向のバカであって、知性の点では古くからユージン・マッカーシー、ハンフリー・ヒューバート、ジョージ・マクガバン、マイケル・デュカキス、ビル・クリントン、バラック・オバマなど誰もが認める秀才たちが党の代表を務めてきており、かれらはむしろ一般大衆を見下す知的エリートとみなされるのを恐れてエルヴィス・プレスリーのコスプレをしたり(クリントン)下手なボウリングを披露したり(オバマ)してあえておどけてみせた。

著者はトランプに至る政治家の知性の劣化を三段階に分ける。第一段階は知性が劣ることが恥だとされていた時代で、レーガンはその知識や知的向上心の欠如を側近や部下にさんざん呆れられながら、役者出身ならではの演技力でそれを巧みに隠し、知的なリーダーとして振る舞った。イラン・コントラ事件が暴露されたとき、どう考えても本来なら大統領が知っていなければいけないはずなのに、レーガンは真実を知らなかったのではないか、と逃げ通すことができたのは、かれが政権内で実際に何が起きているか知ろうともしない知的怠慢な大統領だとメディアが知っていたからでもある。レーガンの後継者であるジョージ・H・W・ブッシュ大統領の副大統領となったクエールはレーガンのような演技力に恵まれず、小学生のまえで「ポテト」の綴りを間違えた件でさんざんメディアに嘲笑され、政治生命を絶たれた。当時大統領選挙に立候補したブッシュに対してトランプが「自分が副大統領候補になっても良い」とオファーして断られたそうなのだけれど、もしそのときにトランプが副大統領に当選していれば、当時の基準でかれは政治生命を失っていた可能性が高い。

著者のいう第二の段階は、知性の欠如が受け入れられるようになったジョージ・W・ブッシュの時代。ブッシュは「尊敬する哲学者は」という質問に「イエス・キリストだ」と答えて一切の説明を拒むなど、信仰に厚い愚鈍な人物を演じたが、それが早くから「情報スーパーハイウェイ」(いまのインターネットと統合)や気候変動の重要性を訴えていたインテリであり硬い印象が強かったアル・ゴア副大統領との対比で好感を持って受け入れられた。「ビールを飲むならどちらの候補と一緒がいいか」という、よくよく考えてみたらどの大統領候補に投票するかにおいて全く関係のない指標がまるで重要な要素であるかのように騒がれだしたのもこの時代。ブッシュはリベラルにさんざんバカにされながらも、嘘に基づいたイラク戦争や捕虜虐待など政権の薄汚い部分のイメージをチェイニーやラムズフェルドに押し付け、あくまで何も知らない、けれども親しみやすい隣のおじさんというイメージを守り続けた。

ペイリンからトランプに繋がる第三の段階は、知性の欠如が受け入れられるだけでなくむしろ歓迎されるようになった現在の状況だ。ペイリンは副大統領候補という立場に突然置かれ、当初は家庭教師をつけられて必死になって外交や経済の問題についてレッスンを受けるも、インタビューで珍回答を連発し準備不足をすぐに露呈する。しかし彼女はそれでも、自分は子どもをホッケー教室に通わせる、郊外にいる普通の母親だから、とインタビューを受け続けた。経験不足のオバマに対して自分の経歴をセールスポイントにしていたジョン・マケインには迷惑な話だったけれども、ペイリンが8年後のトランプの登場の扉を開いたとも言える。

そしてトランプ。政治的主張の是非はともかくとしても、かれがどれだけ事実に反するデマを次から次へと拡散し、それによって白人至上主義を広め、コロナ対策を妨害して多数の命を奪い、また選挙に関するウソを宣伝して議事堂に対する暴力的な占拠を扇動したか、思い起こすだけでも頭が痛い。共和党のほかの政治家たち、その多くは高学歴知的エリートたちはなのだけれど、かれらもトランプに合わせて明らかに事実に反することを言うようになる。バカな政治家が賢いように演技をする時代から、賢い政治家たちがバカな演技をする時代になってしまったのだ。また一方共和党内でトランプを批判する人たちは、トランプが過去の共和党の偉大な政治家たち、たとえばレーガン大統領とはまったく異なる存在だ、と言うけれども、著者はレーガンとトランプは地続きだと指摘する。変わったのは知的好奇心や知的向上心のあるなしではなく、その欠如が隠すべきものから、認めても良いものになり、そしてついには歓迎されるようになったという環境の側だ。

著者のニュース記事風の政治風刺はたまにリベラルによってソーシャルメディアで本物のニュース記事であるかのように拡散されることがあり、その点では知的怠慢は共和党側に限った話ではない。著者も「2016年の大統領選挙はロシアの工作によって結果が書き換えられた」と信じているリベラルが多いことを指摘し、2020年の選挙結果に異を唱える保守と変わらない、と批判している。とはいえDannagal Goldthwaite Young著「Irony and Outrage: The Polarized Landscape of Rage, Fear, and Laughter in the United States」でも書かれていたように、保守とリベラルとでは情報に対する要求が異なる傾向はある。いま起きているいくつかの捜査によってトランプ一人が失脚したとしてもそれでは解決されない問題は残りそう。