Andrew K. Diemer著「Vigilance: The Life of William Still, Father of the Underground Railroad」

Vigilance

Andrew K. Diemer著「Vigilance: The Life of William Still, Father of the Underground Railroad

「地下鉄道の父」として知られる奴隷解放活動家ウィリアム・スティルの新しい伝記。「地下鉄道」は奴隷制が敷かれていた南部から奴隷制が廃止された北部へと逃亡する黒人奴隷たちを支援する非公式の地下組織で、スティル氏はその創始者ではないけれど多くの逃亡奴隷たちにとって最初にたどり着く自由の地となるフィラデルフィアの「車掌」として多数の黒人たちの逃亡を手助けし、かれらが家族と再会できるようにかれらの記録を残したことによって「地下鉄道の父」と呼ばれた。

スティル氏自身は奴隷だった過去のある両親のもとに自由人として生まれ、さまざまな事業を起こすも騙されたり利用されたりして苦しい生活が続く。しかしかれは自己研鑽を通した成功を目指して働くなか、真面目な仕事ぶりが評価されてペンシルヴァニア州反奴隷制協会に職を得る。ここからスティル氏は地下鉄道の活動に注力し、Iyon Woo著「Master Slave Husband Wife: An Epic Journey from Slavery to Freedom」に書かれたエレンとウィリアムのクラフト夫妻ほか多数の同胞たちの逃亡を手助けする。ある時には散り散りになった家族を探して協会を訪れた男性の話を聞いたスティル氏が、その男性がかれの兄弟だと気づいたという劇的な話も。

1950年の逃亡奴隷法改正により逃亡奴隷の追求が強化されると、スティル氏や同僚が「逃亡を希望しない奴隷を勝手に誘拐した」として逮捕・起訴される事件も。追手から隠れて暮らしていたその奴隷とされていた女性が法廷に現れ証言したことで無罪になったものの、南北戦争が近付くなか地下鉄道の活動は危険度を増していった。しかし同時にスティル氏は石炭を売る事業で成功を収め、活動家としてだけでなく商人としても黒人コミュニティの中で地位を確立していく。かれの社会活動は南北戦争の結果、奴隷とされた人たちが解放されたあとも続き、戦争孤児となった黒人の子どもたちの支援などに資金を提供する。

スティル氏の政治信条の特徴は、自身の成功の決め手となったとかれ自身が考える、自己研鑽の重要さにあった。奴隷制において黒人たちは学習や起業を禁じられ、努力によって成功する道を閉ざされていたが、自由になった以上は道徳的に正しく生き、勤労によって自らの地位を向上させるべきだ、と。そこには、奴隷解放運動に参加した白人たちやリンカーン後の共和党に頼っていては黒人たちの地位向上はできないという、冷静な状況分析があった。現代なら「リスペクタビリティの政治」と(批判的に)呼ばれるであろうこうした主張は、同時代の黒人たちからはエリート主義的だとか、そもそも努力するだけの土壌を与えられていない大多数の黒人たちを置き去りにしていると批判されたが、かれは一見何も持たない黒人たちにも自立と成功を勝ち取る能力があると信じていた。それがよくわかるのがかれがのちに記した「地下鉄道」という本で、このなかでかれは自分やほかの活動家たちではなく、かれらの支援を受けて逃亡した一般の黒人たちの創意工夫や機転、努力、希望の記述に多くのページを費やした。

奴隷解放後、スティル氏はフィランソロピーのほかにもフィラデルフィアの路面車両の人種隔離撤廃運動に取り組んだり、黒人たちを堕落させないためにと禁酒運動にも参加。事業も順調に拡大し、一時はアメリカで最も財産を築いた黒人の一人になる。当時かれは「地下鉄道の功績を独り占めしている」と批判されることがあったけど、実際のところかれ自身は自分のことを「地下鉄道の父」とは自称しておらず、先にも書いたとおり自著では自分の活動について語るより実際に逃亡を実行した黒人たちをヒーローとして称賛していた。これだけ重要な人物でありながらかれの名前がフレドリック・ダグラスやハリエット・ダブマンらに比べて知られていないのはかれ自身のそうした態度が原因の一つかも知れないけれど、いろいろな本で名前を見かけていたかれの伝記をがっつり読んでかれの人生を知ることができてよかった。