Andrea Dunlop著「The Mother Next Door: Medicine, Deception, and Munchausen by Proxy」

The Mother Next Door

Andrea Dunlop著「The Mother Next Door: Medicine, Deception, and Munchausen by Proxy

親が自身に同情や注目を集めるために自分の子どもを病気にする代理ミュンヒハウゼン症候群について、3つのケーススタディを通してその実態を明らかにし、より実効的な対策を求める本。実の子どもに対する医学的児童虐待を行ったとして子どもとの接触を禁じられた姉がいるシアトル在住の小説家と、医学的児童虐待についての第一人者とされるテキサス州の捜査官による共著。

代理ミュンヒハウゼン症候群は、自分が庇護する対象を病気にしたり病気であるという嘘をつき、その対象を熱心に看護・介護する自分を演出することで周囲の同情や注目を集める精神疾患。看護師や医師助手などの仕事を経験して医学的な知識のある母親が自分の育てる子どもを虐待の対象にすることが多く、発覚するまで子どもが病気に苦しめられるだけでなく、不要な投薬や手術などの治療を受けさせられる。当人たちは子どもが病気だと誤解しているわけではなく、また治療費として寄付をだまし取るなどの金銭的な目的のある詐病とも区別され、その行為が許されないことは認識している。代理ミュンヒハウゼン症候群という疾患名は「病気だから仕方がない」と加害者の責任を弱める危険があるので、行為は「医学的児童虐待」(MCA)と呼ばれる。

本書では著者の一人である捜査官が実際に関わった3つのケースについて詳しく解説されており、どのようにして周囲の人たちや医療関係者たちは騙されてしまったのか、どうして責任追及が難しいのか説明される。さまざまな症状を訴える親の話を鵜呑みにして医師が手術まで行ってしまうというのは一見信じがたいが、加害者の多くに医療のバックグラウンドがある裕福な白人女性の母親であること、また多数の患者を担当させられている医師が実際に患者の子どもと触れあう時間はごく少なく、親の話や過去に親が話してきたことの記録をもとに判断せざるをえないことなどが関係している。また事実が発覚したあとでも、子どもを加害した親から引き離すことは法律上難しく、刑事犯に問うことはさらに難しい。

本書は被虐待児童保護の仕組みには何重にも間違って親から子どもを引き離さないための安全弁があると説明し、医学的児童虐待を行った親はそれに守られてしまっていると指摘するが、これはわたしがこれまで接してきた児童保護制度のあり方とは大きく異なる。Dorothy Roberts著「Torn Apart: How the Child Welfare System Destroys Black Families—and How Abolition Can Build a Safer World」やJessica Slice著「Unfit Parent: A Disabled Mother Challenges an Inaccessible World」などに書かれているように、医療従事者たちは黒人の家庭や貧しい家庭、親が障害者の家庭などからは虐待が起きていなくとも貧困や親の障害を理由に「子どもの面倒を見られない恐れがある」として簡単に児童保護局に通報するし、児童保護局は簡単に子どもを親から引き離し、子どもを取り戻そうとする親たちに経済的・身体的に難しい条件を押し付けてくる。しかし弁護士を立てて「二度と虐待しないようにカウンセリングを受ける」などと交渉することができる裕福な白人家庭に対しては児童保護局は協力的だし、警察や検察も消極的。

著者らは医学的児童虐待をより重視して厳しい対処を取るべきだと主張するけれど、司法制度そのものが不平等である事実を是正しなければ、弁護士やカウンセラーなどを雇える親に対しては影響が及ばず、大した理由もなく親から引き離される黒人家庭や貧困家庭の子どもがさらに増えるだけになってしまいそう。ていうか著者の一人はテキサス州の捜査官だけど、そのテキサス州では政府が子どもに対するジェンダー肯定医療を児童虐待と定義し、トランスジェンダーの子どもを受け入れてホルモンブロッカーなどの治療を受けさせようとする親たちを犯罪者として取り締まる方針を取っているし、性暴力などの結果妊娠した未成年が妊娠中絶を受けられるように州外のクリニックに連れていくこともまた児童虐待・人身取引だとして犯罪化しているのだけれど、そういう文脈で「医学的児童虐待」に対する取り締まり強化・厳罰化を進めたらどうなるか目に見えている。

ところでテキサス州で実際に刑事裁判に漕ぎ着けた医学的児童虐待のケースでは、検察側は陪審員に女性、とくに母親を揃えようとするらしい。母親なら同じ母親に同情してしまうのではないかと思いきや、自分の子どもを傷つけるなんてとんでもない!という感情のほうが強く、加害者を処罰しようとする。いっぽう男性は、母親に同情するのではなく、女にそんな知識があるはずがない、そんな計画的な犯罪をやってのけられるはずがない、という偏見から、なにかの誤解ではないか、と考えがちらしく、そのせいで陪審が評決にたどり着けなかったりするという。男あかんな、と思うとともに、陪審制度も含めてアメリカの司法制度ムチャクチャやな、とあらためて思った。