Aisha M. Beliso-de Jesús著「Excited Delirium: Race, Police Violence, and the Invention of a Disease」
ミネアポリス市警察によるジョージ・フロイド氏殺害事件をきっかけに世間に知られるようになり批判を集めている似非診断「Excited Delirium (ExDS)」(直訳すると興奮性せん妄)についての本。著者はサンテリア信仰を持つアフロキューバン(キューバ出身の黒人)家庭に育った人類学者。
ExDSは医学的には認められていない診断名で、興奮して痛みを感じず超人的な力を発揮して暴れた挙げ句、突然死亡する症候群とされている。この診断が付けられるのはほとんどが警察に拘束されているときに突然死した黒人男性たちで、ジョージ・フロイド氏が殺害された事件でも当初かれの死因とされ、またフロイド氏を殺害した警察官の裁判では被告側弁護士がフロイド氏の死因がExDSだったばかりか、警察官がフロイド氏の上に乗って9分以上に渡って圧迫を続けたのはフロイド氏がExDSの症状により驚異的な力で暴れようとしたからだと主張した。たまたま現場に居合わせた17歳のダーネラ・フレイジャーさんが撮影した動画が広まらなければ、ほかの多数の黒人男性たちと同じく、フロイド氏の死はExDSによる自然死として片付けられていた可能性が高い。
また、自警団の男性が銃を持って黒人少年トレイヴォン・マーティン氏を追い回し射殺した事件で自警団の男性に有利な証言をした検死官はExDSについての著書があり、ExDSによる死とされている事件の多くにおいて警察が使用しているテーザー銃のメーカーがこの著書を大量に買い上げて全国に配っているなど、テーザー銃をはじめとする警察の装備品メーカーと警察官に有利な文献を発表し裁判で専門家として証言する検死官などが警察によって拘束されている被疑者たちの死を自然死として処理する産業が成立している。
著者がExDSについての調査をはじめたところ、ExDSの専門家として多くの裁判で警察官を擁護する証言をしている人物が、それ以前にサンテリア信仰についての専門家として活躍していたことが分かる。サンテリアはアフロキューバンをはじめアフロカリビアン・コミュニティに広まっている信仰で、動物を生贄に捧げる儀式があることなどから、それぞれの国で主流の白人キリスト教徒たちからは悪魔崇拝と混同されている。最近、大統領選挙のなかでトランプ前大統領やヴァンス副大統領候補らがオハイオ州に住んでいるハイチ系難民たちが近所の飼い犬などを捕まえて殺しているという根も葉もないデマを拡散していたが、サンテリアを信仰する人たちはもちろん勝手にそこらの動物を捕まえてきて殺すようなことはしておらず、少なくとも食肉生産のための産業畜産や屠殺に比べて野蛮だとか非人道的ということはないのだけれど、1980年代に起きた悪魔崇拝パニックではサンテリア信仰者による児童虐待の陰謀論が騒がれ、サンテリア信仰の専門家を自称する白人たちがサンテリアやその他のアフロカリビアン系の信仰の犯罪性を主張、その見分け方などを警察にレクチャーしていた。
一見ExDSについての研究には関係がなさそうなサンテリア信仰とそれに対する弾圧や陰謀論の記述が続くので最初はなんなんだろうと思ったけれども、これらは黒人を本質的に野蛮な犯罪者と規定して黒人に対する暴力を正当化する論理という点で共通しており、またそこには奴隷制の時代から続く長い歴史がある。たとえば奴隷制の時代、プランテーションからの逃亡や抵抗を企てようとする黒人たちはドレプトマニアという精神病の診断を受け、それへの治療として鞭で打つなどの体罰が推奨されたが、医学的なラベルの捏造を通して黒人に対する暴力を正当化する点でExDSの診断と連続している。ExDSは決してたまたま生まれた間違った似非医学的診断名ではなく、超人的な力で暴れる野蛮な犯罪者という黒人に対するステレオタイプをそのまま診断名として捏造し、それによって警察による暴力を正当化し、またそうした暴力による殺人を隠蔽するための、歴史的に長く続く大いなるパターンの一部だ。
ExDSについてはわたしも仕事で警察の報告書を読んでいるとたまに目にすることがあるし(被疑者は痛みを感じないようで超人的な力を発揮しておりExDSの症状を示していたと思われる、とかふつーに書かれている)、ジョージ・フロイド氏殺害事件以降さまざまなところでExDSを死因として記述することを禁止するような呼びかけを見ているので一通り知っていたけれど、悪魔崇拝パニックやサンテリアに対する弾圧との繋がりで考えたことはなかったので、その部分はとくに収穫。しかしExDSの利用が禁止されたところで次々別の似非診断名を作ってくるんだよな警察産業って。