Yashica Dutt著「Coming Out as Dalit: A Memoir of Surviving India’s Caste System」

Coming Out as Dalit

Yashica Dutt著「Coming Out as Dalit: A Memoir of Surviving India’s Caste System

インド出身で米国在住のジャーナリストが、タブーを破って自分がダリット(かつて不可触民と呼ばれていたカースト)であることを明らかにして2019年にインドで出版し話題を呼んだ本に、アメリカの南アジア系移民社会におけるカースト差別について二章を追記した国際版。

建国時から公的にはカースト差別が禁止され、大学入試や公務員の求職においてはダリットなど低いとされる階級の人たちを救済するための枠もあるインド社会だが、いまもダリットの人たちを阻む「ガラスの天井」が張り巡らされ、ダリットは能力が低い、努力しない、近づくと穢れる、といった偏見は深刻。多少はアファーマティブアクションがあるとはいえ、それが上位カーストの人たちに対する逆差別だと批判され、せっかく成功をおさめても「不当な配慮の恩恵を受けただけ」と貶される。かつてほどカーストは固定的ではなくなったとはいえ、名字や出身地、家族の職業、所属している宗教・寺院、食生活、なまりのない英語を話せるかどうかなど、さまざまな側面からカーストを推定される状況のなか、成功を目指すダリットの若者は上位カーストの人たちの文化を身につけ、上位カーストの一員のふりをしてエリート層に溶け込もうとする。しかしダリットであることがバレて差別されたり、自分の家族や文化から孤立して苦しんだ結果、エリート大学在学中に自殺をするダリット出身の若者は少なくない。

著者も上位カーストの文化に同化することで生まれ育った境遇からの脱出を目指した若者の一人で、上位カーストらしい英語の発音を必死に訓練して身につけジャーナリストを志して入学した米国コロンビア大学で、女性学や黒人解放運動に出会い、ダリットであることからくる恥の感覚に立ち向かいダリットとしてソーシャルメディアでカミングアウトする。彼女の姿勢は共感を呼び、アメリカ在住のダリットたちから歓迎されるとともに、インド社会が隠してきたダリットの抵抗史や、(「ダリット・パンサー党」に象徴されるように)アメリカの黒人解放運動がダリットたちにインスピレーションを与えてきたことを学ぶ。そのなかで、ダリットの女性たちの運動とアメリカの黒人女性たちの運動も重なり合う。

アメリカ社会におけるダリット差別の存在についての指摘は(アメリカに住むわたしにとっては)特に重要。現在アメリカでは、グーグルやマイクロソフトのCEOをはじめ多数のインド人移民たちがテクノロジー業界で活躍しているが、かれらがよく宣伝する「カーストのような古い慣習が残るインドから何も持たずにアメリカに移住し己の才能と努力で成功をおさめた」というモデル・マイノリティ神話は事実ではない。アメリカでのインド系エンジニアやテクノロジー起業家の成功は、インドの上位カースト出身の男性たちがインド工科大学出身の仲間をアメリカのテクノロジー業界に送り込むパイプラインを作り助け合った結果築かれたものだが、そのあらゆる段階でダリットやイスラム教徒など上位カースト以外の人たちは排除される。2020年にはシスコ社で上位カースト出身のインド人上司がダリットのエンジニアに対して差別的な扱いをしたとしてカリフォルニア州政府が裁判を起こしたほか、カーストを理由に職や機会を失った人は少なくない。

わたしが住むシアトル市は、約一年前、全米ではじめて差別禁止条例にカースト差別禁止を盛り込んだ。わたしはそのときの議論を横から見ていたのだけれど、ダリットやその他の下位カーストやインド出身のイスラム教徒や仏教徒など(カースト制度から逃れるためにヒンドゥー教からイスラム教や仏教に改宗する人が多いので、実際にどうかとは関係なく、自動的に本来は下位カーストであったと差別側によって推定される)が実際に職場で経験したカースト差別の激しさや、自分の出自を隠さなければいけない現状を訴えるのに対し、アマゾンやマイクロソフトなど地元のテクノロジー企業で働く(おそらく上位カーストの)インド人たちが次々と「カースト差別はインドにはあるかもしれないがシアトルにはない、わざわざカースト差別について騒ぐほうがカーストを意識させて差別の原因になる、カースト差別禁止を条例に盛り込むのはインド人とヒンドゥー教徒に対する差別だ」と主張するのを延々と見て(てゆーか、差別について騒ぐのが差別の原因だというなら、自分たちが差別されていると騒がなければいいと思うのだけれど)、ああこれは本当に深刻な差別なんだと実感した。

著者の言うとおり、本書はインドにおけるカースト差別について全般的にカバーした本ではないし、ダリットによる抵抗史をきちんとまとめた本でもない。著者個人の経験を語るうえで必要なだけの文脈や歴史は含まれているけれど、それだけ。しかしそれだけでもこれまでわたしが持っていた知識よりはるかに多くのことを学べたし、アメリカ社会やシアトルのアジア系アメリカ人コミュニティにおいて無視してはいけない問題だと思った。