Todd May著「Should We Go Extinct?: A Philosophical Dilemma for Our Unbearable Times」
人類は滅亡すべきかどうか、という議題についてどう考えることができるのか、生と死についての著書が多数ある政治哲学者が論じる本。
どうして人類の滅亡を考えなければいけないのか。それは人類が過去に行ってきた環境破壊や動物など他の生命に対する産業畜産をはじめとした加害行為の罰としてではなく、人類がいまも続けているそれらの行為の害悪を取り除くために必要なことだと考えることができるからだ。快楽の最大化と苦痛の最小化を是とする功利主義の論理に従うなら、人生を享受することにより人類が得ている(そして副次的に一部の動物に生じている)快楽の総量がその犠牲となっている人や動物の苦痛の総量を上回るのでなければ、人類の滅亡は良いことだとも考えられる。
しかしこれは単純化しすぎた話であり、より複雑な議論が必要そうだ。たとえば人類が感じる快楽には、芸術や娯楽による人類特有(あるいは人類以外ではめったに見ない)文化的活動に基づいたものがあり、その快楽の価値はどう評価するのか。人類が経験する愛情や友情の価値は。滅亡を直前とした世代の人類が経験する苦痛は。滅亡させるとしてどういう手段を取るのか(核戦争や気候変動で人類が滅亡したとしたら、人類以外の種にも多大な被害が出てしまう)。滅亡させずに産業畜産や化石燃料の消費をなくしていく可能性はないのか、など、著者はさまざまな視点から議論を深めていく。「現在の命も将来のまだ生まれていない命も等価」という長期主義の考えを否定し、あくまでいまある命、そして想像可能な範囲の将来の命を対象としているあたりは好感が持てる。
最終的に、人類が滅亡すべきかどうかはわからないが、滅亡させたほうがいいと思わせるような状況を変えていこう、そのために女性の教育と社会参加による人口増加の抑制やよりサステイナブルな食やエネルギーの普及を進めていこう、という、ごくまっとうな結論になってしまうのは、とっぴに見えるトピックに反してこの著者がまともな人すぎるから。もうちょっとぶっ飛んだ話かと思ったら割と地に足がついた内容で、「いやいや産業畜産をやめたり気候変動を止めるなんて難しいよ!」という反応を「とはいっても人類を平和に滅亡させるよりは簡単だよね」で押さえつけてしまうの、すごい力技だと思う。