Thomas Ramge著「Dimming the Sun: Why We Need Geoengineering to Keep the World from Falling Apart」
気候変動対策の本筋は二酸化炭素の排出削減や回収・貯留だとしつつも、壊滅的な悪影響を遅らせ本来の対策を取るための時間稼ぎとして、地表に届く太陽光を減らして大気を冷却する太陽地球工学(ソーラージオエンジニアリング)を研究・検討すべきだと訴える本。ドイツで昨年に出版された本の英訳。
著者はドイツ人のノンフィクション作家で、テクノロジーについて楽観的な見方を示すようにみえる(本書以前に読んだことはない)本をいくつも出版しているので、シリコンバレーによくいるテクノオプティミストかと思ったが、シリコンバレーでいくつも登場しているジオエンジニアリングを行うヴェンチャー企業には批判的だし、太陽地球工学は気候変動の解決策ではなくあくまで最悪の事態を遅らせるための時間稼ぎだとか、世界各国の平等な参加のもと大多数の国による国際的な合意に基づいて行われるべきだという感じに、思ってたよりまともな内容。
現在有力だとされるソーラージオエンジニアリングの原理はごく簡単。はるか上空の大気中に二酸化硫黄などの粒子をバラ撒くことで地表に届く太陽光を減らして気温を下げるというもので、1991年にフィリピンのピナツボ山が噴火した際に自然によってバラ撒かれた二酸化硫黄が二年間にわたって地球の気温を摂氏0.5度下げたことから分かるように、効果は実証されている。もちろん一度の噴火と継続的に噴出するのでは話が違うし、気温だけでなく天候のパターンに影響を与え局地的に豪雨や干ばつなどの問題を起こす危険はあるし、生態系に対する影響も無視できないけれど、そもそも人為的に二酸化炭素をアホみたいに排出して気候を乱しまくったあとで何を言ってるかという話だし、ソーラージオエンジニアリングは小規模に導入して効果を検証し弊害に対処しながら拡大していくこともできるし、停止すれば数年でその影響の多くは収まると考えられており、科学的にはまったく検討に値しないほどの暴論ではない。
しかし問題は科学的な側面からだけでは解決できない。地球に住む全ての人々や生き物に影響があるこうした施策を、誰がどういう権限で行うのか、どう決定するのか、それを誰が監視し必要ならば止めるのか、一部の先進国が引き起こした気候変動によって島国や途上国がまっさきに被害を受けているのと同じように弊害が一部の地域に押し付けられて犠牲にされることはないのか、などガバナンスをめぐる問題もあるし、また「ジオエンジニアリングがあるから二酸化炭素の排出削減はしなくて良い」と本来の解決策が先送りされ、より強力なジオエンジニアリングでも対処できないほど問題が悪化する可能性もある。というか、かなり高い。気候編団対策を求めている団体の多くも、ジオエンジニアリングには否定的。
さらにおそろしいのが、ジオエンジニアリングには数十億ドルから数百億ドル(数兆円から数十兆円)の資金が必要とされるが、一見巨額にみえるこうした費用は二酸化炭素削減にかかるコストや気候変動そのものによる被害に比べたら少なく、ある程度の規模の国の国家予算や一部の大富豪の資産で支払えないこともないという点。それはすなわち、民主主義を通した議論や国際的な合意を経ずに、一部の国や個人によって勝手に行えてしまうということでもある。そんなことやりそうな国といえばアメリカだとわたしは思うんだけど、エコノミスト誌に掲載された分析ではアルジェリア、オーストラリア、バングラデシュ、エジプト、インド、インドネシア、リビア、パキスタン、サウジアラビア、タイにそうした独断によるジオエンジニアリングを行う危険があるとされている(オーストラリアは太平洋諸島からの気候難民の流入を止めるため、その他は国内の気温を下げて人々の健康や農業を守るため)。
個人で勝手にジオエンジニアリングをやりそうな人といえば、右派はビル・ゲイツ、左派はイーロン・マスクの名前に思い当たる。ゲイツは実際にジオエンジニアリング関連のヴェンチャーに投資しているけど、かれは理性的だし常識がありアメリカ政府に協力的だから独断ではやらないだろう、というのが著者の評価である一方、マスクについては「とりあえず今のところイーロンがソーラージオエンジニアリングに興味を抱いている様子はないので、どうかそのまま興味を持たないよう期待しよう」とほぼ祈っている状態。本書の最後にある2040年にジオエンジニアリングが行われるシナリオには、明らかにマスクがモデルとなっていそうなテック富豪が登場してるし。駄目だこいつ… 早く何とかしないと…
気候変動の勢いを和らげるために原子力発電を再評価・再拡大する選択肢について触れているRebecca Tuhus-Dubrow著「Atomic Dreams: The New Nuclear Evangelists and the Fight for the Future of Energy」もそうだけれど、気候変動を一定の範囲で止めようとする国際的な取り組みが難航し深刻な影響がますます明らかになってきているいま、これまでなら検討するまでもなく拒絶していた選択肢がだんだん「時間稼ぎ、解決までの繋ぎ」として魅力を増している。
著者はサイエンスコミュニケーションの専門家が正しく社会を啓蒙し理解を広めることにより、「ジオエンジニアリングがあるから二酸化炭素排出は削減しなくていい」から「ジオエンジニアリングという無茶な方法で時間稼ぎをしなくちゃいけないほど気候変動は深刻なんだから排出削減をより本気で進めるべきだ」という方向に人々の意識を向けることができると言うが、それもあんまり信用できない。しかしまあ、ヴェンチャーキャピタルやテック富豪が無茶苦茶やるまえに、ソーラージオエンジニアリングについて研究するならこの条件で行うべき、研究と実践はきっちり分けて実践するためにはこういうプロセスを経るべき、といった枠組みは準備しておかないと、いくつもの国や企業や個人が好き勝手にジオエンジニアリングを行って制御がつかないことになりそうでそれが一番怖い。イーロンにまともな判断力もブレーキもないのはもう分かってしまったし。