Susan Stryker著「When Monsters Speak: A Susan Stryker Reader」
トランスジェンダー女性の歴史学者でトランス・スタディーズやトランス理論の創始者の一人とされるスーザン・ストライカーせんせーの初期の文章を中心に集めた著述集。同じくトランス女性のメディア研究者McKenzie Warkが編集し、最終章では著者をインタビューしている。
ストライカーの論文といえば、トランス理論の最重要基礎文献としてサンディ・ストーンの「The Empire Strikes Back: A Posttranssexual Manifesto」(1987)と並んで今でも使われている「My Words to Victor Frankenstein Above the Village of Chamounix: Performing Transgender Rage」(1994)が最も有名だけれど、本書は三章構成の最後にこの論文やほかのトランス理論の論文を置き、第一章と第二章でそこにたどり着くまでの著者の履歴を明らかにする。
第一章はまだHIV危機が続いていた1980年代末期から1990年代にかけてのサンフランシスコでクィア・コミュニティやトランスジェンダー・コミュニティに出会った著者が、セクシュアリティやジェンダー、アート、BDSMやサイケデリックについて書いたものがまとめられている。これらの文章の初出はインターネット普及以前にトランスコミュニティの人たちにとって重要なメディアとして機能していた会員制ニューズレターやゲイポルノ雑誌などで、「My Words to Victor Frankenstein」以降のストライカーの仕事をよく知っている人にとってもこれまで読んだことがないものがほとんどだと思う。
第二章におさめられた文章は、クィアコミュニティやフェミニズムに繋がったアカデミアのなかで、トランス女性のレズビアンとして、そしてフェミニストとして自分の居場所を探り、それらの研究分野に隣接するトランスジェンダー研究を打ち立てようとする内容。サンフランシスコLGBTQ歴史協会の代表として、有名なストーンウォール暴動より3年はやくサンフランシスコのテンダーロイン地区で起きたコンプトン・カフェ暴動の歴史を掘り起こしたり、Jasbir Puarがホモナショナリズムの概念を提唱する以前からトランスコミュニティでは別の意味で同じ言葉が使われていた歴史を指摘するなど、重要な内容も。
それらを経てついに第三章で「My Words to Victor Frankenstein」やその次に有名な「Transgender Studies: Queer Theory’s Evil Twin」(2004)など、著者の代表作といえるトランス理論の重要文献が収録される。ちなみに「My Words to Victor Frankenstein」はトランス理論を打ち立てただけでなく、クィア理論におけるモンスター(怪物)の概念を流行させすぎたせいで、わたしは個人的に「モンスターはもういいわ」と思ってしまい、インターセックス当事者の研究者が書いたHil Malatino著「Queer Embodiment: Monstrosity, Medical Violence, and Intersex Experience」を当事者による本だと気づかずにしばらく避けてしまっていた。
著者と編集者との関係がおもしろい。彼女たちは同世代のトランス女性だが、1990年代からトランス女性として生きてきたストライカーに対し、Warkは2010年代にカミングアウトしてトランジションしたばかりであり、彼女にとってストライカーは同世代であるとともにトランスジェンダーとしての人生およびトランス活動家としての大先輩でもある。そういう編集者がストライカーの初期著述を整理し、構成して出版されがのがこの本で、ほかにももっとたくさんあるんだろうな、もっと読みたいな、と思わされた。インタビューのなかでストライカーは自分がもともと大学院では19世紀アメリカにおけるモルモン教のアイデンティティやコミュニティの発生について研究していたことに触れ、1820年代までは存在しなかったモルモン教のアイデンティティやコミュニティが一気に広がりまた同時にバッシングも激しくなった歴史を、1990年代以降のトランスジェンダーコミュニティに重ねている。第一章に含まれている、同時期のサンフランシスコのトランスジェンダー・アートのシーンを1920-30年代のニューヨークで起きたハーレム・ルネッサンスと重ね合わせて論じるものもあり、歴史学者として現代のトランスコミュニティを見ているところはおもしろい。また、第一章に出てくるトランス男性作家・アーティストのクーパー・リー・ボンバーディアや、第二章でゲイBDSMバーで出会ったことが明かされるフェミニズムとクィア・セクシュアリティの理論家ゲイル・ルービンら、ほかのクィアやトランスの研究者やアーティストとの関係についての話も興味深い(どうでもいいけど、昔サンフランシスコでクーパーの家に泊めてもらったことあるわ)。1990年代以降のトランスジェンダーやトランスセクシュアルという言葉の社会的・政治的な意味の変遷も、ストライカーの個人史を補助線にして読むと分かりやすい。
ところで「My Words to Victor Frankenstein」では1990年代のシアトルでバイセクシュアル自認のトランスセクシュアル女性フィリーサ・ヴィスティーマさんが当時のレズビアンコミュニティのなかで迫害されて自殺に追い込まれた話が紹介されているのだけれど、わたし自身が当時の資料を調べたところストライカーが引用している当時のトランス活動家による記述が正確ではなかったことが分かり、彼女にもそのことを伝えた。フィリーサが当時ボランティアしていたレズビアン・センターによってトランス女性の排除を求める投票の集計をやらされたという事実はなかったし、「フィリーサは亡くなったあとも自分が所属していると思っていたコミュニティから支えられることがなかった」という記述も明らかに間違いで、実際には彼女はレズビアン・センターの理事たちやレズビアンコミュニティの大半から受け入れられ愛されていた。もう30年も前の論文だし、いまさら訂正するほどのことでもないとは思うのだけれど、いまでも重要文献として多くの論文に参照されるものだし、こうして新しい本に再録するのであれば、できればどこかに一言訂正を入れてほしかった。