Sarah McCammon著「The Exvangelicals: Loving, Living, and Leaving the White Evangelical Church」
キリスト教の白人福音派教会を離脱した人たちについての本。著者自身も福音派教会の熱心な信者の家庭で一般常識を知らずに育った経験のあるジャーナリスト。
キリスト教福音派は南部を中心にアメリカの人口の4分の1を信者とするが、公立学校における人種隔離政策廃止に反発した白人が自分たちの子どもだけを対象とした宗教的な私立学校を設立、そして人種差別を理由としてそれらの学校に対する税優遇措置が廃止されそうになると「信仰の自由に対する侵害」としてそれに対抗する政治的な運動を展開したことにはじまり(Jack Schneider & Jennifer Berkshire著「A Wolf at the Schoolhouse Door: The Dismantling of Public Education and the Future of School」参照)、妊娠中絶や同性愛者の権利に反対する運動を通して共和党内に浸透し、実際の人口比率以上の政治的影響力を獲得してきた。現在進行中の「批判的人種理論」や「ジェンダー・イデオロギー」、「社会情操学習」をめぐる公共教育への攻撃(Laura Pappano著「School Moms: Parent Activism, Partisan Politics, and the Battle for Public Education」参照)の主体になっているのもこの層。ただし「福音派」はもともと信仰上の宗派の分類であり、同じ宗派の教会でも黒人教会のメンバーたちなど同じ政治的傾向を持たない人たちもいる。
公共教育を信用しない福音派の白人家庭では、子どもを宗教的な学校に通わせたり、家庭内でホームスクールして育てたりすることも多い。それらの学校では福音派の出版社による教科書が使われており、歴史や科学などの分野で公立・私立を問わず一般の学校とは異なる内容を教えることが多い。また子どもたちは休日に妊娠中絶を行っているクリニック前での抗議活動に連れて行かれたり、宗教的なサマーキャンプに参加させられるなど、学校以外の活動も宗教に囲まれるほか、一般のテレビ番組や音楽にふれることを制限され教会に認められたメディアのみ与えられるなどした結果、同世代のほかの人たちとの共通の話題を持たなくなることも多い。
著者自身もそうした家庭で育ったが、あの人は信者ではないからと祖父との接触を制限されたり(のちにかれがゲイだと知ったが、家族はそれを隠していた)、キリスト教徒でない人が全員地獄に行くことに納得がいかないなど疑問を持ち始め、大人になってから教会から離脱する。それまでの生活すべてが宗教によってスクリーンされていたため、そこから離脱すると家族やコミュニティのネットワークから排除されるなど辛いことが多いが、いまの時代、インターネットを通して同じような経験をした他の人たちとも繋がることができる。exvangelicals(元ex-と福音派evangelicalを組み合わせた造語)というハッシュタグを通して広がる「元福音派」のコミュニティもそうして生まれたものだ。
ある宗教のなかで育てられた子どもが大人になって別の信仰を選ぶ、あるいは信仰自体をなくすこと自体は、過去にもいくらでもあっただろう。しかし元福音派の人たちの経験が特異なのは、福音派がアメリカの政治において右派勢力として大きな影響力を握っている点。ドナルド・トランプの当選とかれによる三人の保守派最高裁判事の任命、そしてついに実現した、妊娠中絶の権利を認める過去の判例の破棄は、福音派勢力が半世紀かけて到達した権力のピークだ。しかし同時に、これまでさんざん性道徳を説き同性愛や離婚を批判しておきながら、二度も離婚しただけでなく多数のセクハラや性暴力を告発されているトランプを熱烈に支持した事実や、そのトランプによる人種差別的な移民の排斥や相次ぐ警察による黒人殺害を黙認し、パンデミックについてのデマを拡散し民主的な選挙を転覆しようとするトランプに対して声を挙げないことに対し、多くの若い人たちは福音派を見放しはじめた。かれらの中には信仰を失った人や仏教などほかの宗教に改宗した人もいるが、多くはいまでもキリスト教徒であり、福音派の家庭や教会において聖書を読み込んだからこそ、自らの宗教的な考えとして道を踏み外し白人至上主義やレイプカルチャー、民主主義の否定容認するようになった福音派から離脱したのだ。福音派のこうした政治的傾向はトランプ以前からのものだが、どれだけ信仰を裏切るようなことをしても福音派の指導者たちがトランプを支え続けたことは、多くの人にとって離脱するきっかけになった。
福音派のこうした裏切りを特に強く感じたのは、福音派のコミュニティのなかで育ってきた女性たちだ。Emily Joy Allison著「#ChurchToo: How Purity Culture Upholds Abuse and How to Find Healing」にも書かれているように、福音派では純潔主義が奨励され、結婚するまでは性交渉を避けるよう教えられるが、その責任を負わされるのは主に女性だ。男性は誘惑を避けるようポルノを見ないことなどが教えられる一方、女性は男性を誘惑しないように服装やふるまいを厳しくチェックされる。男性は女性に誘惑されると耐えられない、という前提に基づき、性暴力が起きると被害者である女性の側に責任があるとされ、宗教的な学校では被害者の側がスカートが短すぎたのがいけないなどの理由で処罰を受けることも。また、大した交際の経験もないまま若くして結婚させられ、ドメスティック・バイオレンスの被害を受けても「夫を支えなければいけない」と諭され、離婚を求めたら宗教的コミュニティから排除される。これだけ厳しい扱いを受け耐えてきたのに、どう見てもキリスト教的な性道徳に沿った生き方をしているようには見えないドナルド・トランプを福音派の指導者たちが絶賛するのを見た女性たちの多くが福音派を見限ったのは当たり前。
しかしその一方で、熱狂的なトランプの支持者たちが新たに「福音派」を名乗る例も増えている。かれらの多くは特に熱心なキリスト教徒ではないのだが、そうした人たちがアンケートなどで「福音派」を自称するせいで、実際にどれだけ福音派から離脱者が増えているのか、実際に宗教的なコミュニティで生活する人たちがどれだけいるのか、分かりにくくなっている。Philip S. Gorski & Samuel L. Perry著「The Flag and the Cross: White Christian Nationalism and the Threat to American Democracy」でもキリスト教ナショナリズムの信奉者たちは政治的な立場としてそれを選択しているのであって実際には信仰に熱心なわけではなく、キリスト教を信仰してすらいない人たちも多いことが指摘されているが、「福音派」もいまや信仰上の立場から極右政治的な立場に変質しつつある。ただし一般の福音派の人たちがそれを良しとするかはまだ不透明で、信仰やライフスタイルを共有しないのに福音派を名乗るトランプ支持者たちとの共存がコンゴも続くのかはわからない。
福音派のコミュニティで育った人たちは子どものころから絶対的な善悪の価値を押し付けられ、地獄に堕ちる恐怖によって支配されてきたため、とくに同性愛者やその他の理由で親やコミュニティの期待に沿えなかった人たちのあいだにはトラウマを残している。しかし性暴力や身体的な虐待を受けたのではなく全体主義的なコミュニティで自己を否定された、と訴えてもトラウマとして認められないことも多いが、そうした人たちに対する支援を元福音派のカウンセラーや専門家がはじめている。また、ソーシャルメディアやポッドキャストを通して同じ経験を持つ人たちが繋がり支え合う仕組みも生まれている。
以前も書いたようにわたし自身、一時期福音派のコミュニティに参加させられていたことがあって、いろいろ思い当たるところもあるのだけれど、深入りせずに済んだのがラッキーだった。まあ、もしあのままあそこにいたら、いまごろわたしはトランプ支持者になっていたかもしれないけど(無理か)。