Matt Baume著「Hi Honey, I’m Homo!: Sitcoms, Specials, and the Queering of American Culture」

Hi Honey, I'm Homo!

Matt Baume著「Hi Honey, I’m Homo!: Sitcoms, Specials, and the Queering of American Culture

20世紀後半のアメリカのテレビで人気ジャンルだったシットコム(シチュエーション・コメディ)におけるクィア(と言いつつ主にゲイ男性、たまにレズビアン、ほかはほぼ無し)の表象がどう社会におけるゲイ・ムーブメントの展開と繋がり広がってきたか振り返る本。

わたし自身は世代的に「エレン」や「ウィル&グレイス」の世代なので、それ以前のシットコムで同性愛がどのように表現されてきたのか、あるいは表現されないで来たのか、という部分は知らないことだらけだったけど、おもしろかった。

かつて同性愛者はテレビにほとんど登場せず、たまにゲストキャラクターとして登場してもステレオティピカルかつ一面的に描写され、笑われるか気持ち悪がられるかといった扱いが多かったけれど、ストーンウォール暴動いらい表立って発言をはじめたゲイ&レズビアン活動家たちによってそうした描写が批判され、また同性愛者の権利が政治的議論のトピックとなるとともに、シットコムの制作者たちも時事問題としてそれを取り入れようとした。それでも同性愛者の家族や友人に異性愛者の登場人物がどう向き合えばいいか、という異性愛者の問題として扱ったり(「チアーズ」)、登場人物が同性愛者っぽいと疑われるけれど実は異性愛者だったり(「フレンズ」)といった形で実際には同性愛者が登場しなかったり、登場したとしてもゲスト出演であって主要登場人物にはならなかったりした。

主人公を演じるエレン・デジェネレスが公私ともにカミングアウトした「エレン」はどれだけ当時衝撃的だったのか今の若い人にどのように説明しても分かってもらえるとは到底思えないくらい衝撃的で、わたしの周囲でもレズビアンバーや仲間の家に集まって一緒に番組を見る人が多かったけど、宗教右派による抗議活動などが起きた結果その翌年に打ち切りに。それで当分同性愛者をメインキャラクタに据えた番組は無理だと思われたときに、ゲイ男性とヘテロ女性の友情という設定で「ウィル&グレイス」が大ヒットし、なんとか窮地を乗り越えることができた。しかし番組ではウィルが画面の中でパートナーと全然イチャイチャしなかったせいで「キスさせろ」とゲイ活動家たちが抗議したりも。

同性愛者に対する異性愛者の意識について調べた調査によると、異性愛者が同性愛者に寛容になる一番の要因は家族など身近に同性愛者としてカミングアウトした人がいることだけど、身近にそうした人がいなくても視聴しているメディアに同性愛者のキャラクターが登場していることも同性愛者への理解に繋がるという。たぶんそれ、そういう番組を見ない人が同性愛者への理解を深めないというだけでなく、そもそも同性愛者に理解がない人がそういう番組を避けているという可能性もあると思うんだけれど、オバマ政権時代にバイデン副大統領が同性婚への支持をはじめて表明した際にかれが同性婚への支持の広がりの要因として「ウィル&グレイス」の社会的影響を挙げたのはおそらく間違ってはいない。

現在ではシットコム自体は減ったけれど、さまざまな番組に同性愛者やその他の多様なクィアたちが登場するのは当たり前になっていて、先に書いたように「エレン」が衝撃だった時代とは大違い。でも最近、学校におけるトランスジェンダー・バッシングを契機にクィアやトランスの存在について学校教育で扱うなとか、図書館から排除しろという右派運動の声が高まり、テレビや映画からクィアやトランスを排除しろという動きにも繋がりかねない、と著者は警告。いやいや三大ネットワークが映像メディアを支配していた時代とは違うでしょ、とは思うのだけれど、保守的な地域や家庭に住んでいるクィアやトランスの子どもたちにとっては多様なクィアやトランスが登場するメディアに触れられるかどうかは死活問題。そのあたり具体的に誰にとって脅威なのか(すでにネットでいくらでも好きなメディアにアクセスできる大人のクィアにとってではない)きちんと論じてほしかった気はする。