Maris Kreizman著「I Want to Burn This Place Down: Essays」
ユダヤ系の裕福な家庭に生まれ順調に有名大学を卒業し大手出版社に入社した白人シスヘテロ女性の著者が、若いころずっと信じていた男女平等やメリトクラシーが幻想であったことに直面し、自身の特権的な背景を自覚するとともに社会に対する怒りを募らせていく過程を綴ったエッセイ集。
成功の秘訣は目的意識を持ち努力すること、子どものころ発症した1型糖尿病は自分の人生の生涯にはならない、女性誌のアドバイスを聞いていれば仕事も私生活も充実する、とにかくスリムな体型を維持することが第一で美のためには苦痛を受け入れるべき、夜遅く出歩かなければ性暴力の被害を受けることはない、危険を感じたら警察に通報すればいい、妊娠中絶はずっと合法であり続ける、労働運動は時代遅れ、酸性雨とオゾンホールをどうにかすれば環境問題は解決する––著者はこうしたさまざまな「常識」を信じ、それに従って生きてきたが、年齢を重ね、また人種差別や性差別について知るごとに、それらが全て幻想であったことに気づいていく。
本書は著者の人生のさまざまな時期からこれらの幻想を信じ込んでいた、あるいはそれに気づいたエピソードを元にしたエッセイ10編から成り立っており、全体でも176ページ(ペーパーバック版)しかない短い内容。個人的に一番おもしろかったのは、大手出版社で編集者として働いていた時期の話。歴史的に出版業界は大してお金にならないけれど社会的・文化的な意義があるとして、金持ちの道楽として運営されていた部分があり、短期的な利益を追い求める普通の営利企業に変わってからもお金に困っていないエリートが働く場所という文化は続いていた。編集の仕事を志す若者たちは文化の担い手としての使命感を期待されるいっぽう、権限もないまま、出版業界が集中するニューヨーク市内では住むことが困難なほど安い給料で雇われる。
そういう環境を著者は自然と受け入れ、いまは我慢の時期だけれどいずれ出世すれば自分の手で素晴らしい本を世に出すことができると信じていたが、手軽に利益を挙げるために出版社は次々とゴーストライターが書いた嘘だらけの有名人の自伝や、移民や非白人やクィアたちを理不尽にバッシングするヘイトや陰謀論の本を出していく。こうした本を出版して一定の利益をあげることで、あまり利益がでない優れた文学作品やその他の良書を世に出すことができるのだと著者は正当化する。しかしあとになって考えてみれば、自分が当時そう信じてヘイトや陰謀論の拡散の片棒をかつぐことができたのは、そうした書籍によって尊厳を攻撃され排斥される対象が自分ではなかったからだと気づく。ちなみにこの本はかつて著者が働いていた出版社から出されていたりする。