Margaret A. Burnham著「By Hands Now Known: Jim Crow’s Legal Executioners」

By Hands Now Known

Margaret A. Burnham著「By Hands Now Known: Jim Crow’s Legal Executioners

南北戦争後、奴隷制度から解放された黒人の権利を守るために米軍が南部を占領し改革を実施したものの短期で終わったリコンストラクションと、20世紀中盤に公民権運動が起きるまでのあいだ、いわゆるジム・クロウ時代、黒人に対する暴力を法がどう扱ったかについての本。著者が関わる複数の大学にまたがる研究では、当時の裁判記録や報道などをもとに数千件ものリンチやその他の黒人に対する暴力をデータベース化しており、これまで知られていなかった多数の実例が次々と紹介され、法が明示的に黒人差別を規定していただけでなく、実際には違法であるはずの私的な暴力すら法が許容していた実態が明らかにされる。

本書では対象となる事例をいくつかのカテゴリに分類して分析している。最初に取り上げられるのは南部から北部へと逃亡した黒人「犯罪者」たちの南部への引き渡しについて。南部では黒人が職についていないことを犯罪として取り締まるなど黒人だけを対象とした犯罪のカテゴリを作り出し、逮捕された黒人を白人の元奴隷所有者に貸し出して強制労働させるといった形で奴隷制度を実質的に再開しており、当然のことながらそこから逃亡する人も多数いたし、そうでなくても「白人女性に色目を使った」的な言いがかりによる告発や白人の暴力に対する正当防衛などで裁判にかけられ、弁護士もつけられず黒人の目撃者は証人として認められないなど、不当な審理を受けさせられることも多かった。

アメリカの法制度では、ある州からほかの州に逃亡した犯罪者や容疑者については、逃亡元の州が形式的に整った要請を出せば引き渡しが義務付けられている。これは奴隷制の時代、憲法および法律によって逃亡奴隷の引き渡しが義務付けられていたことに似ているが、自動車産業で多数の労働者を必要としたデトロイトなど北部の一部の地域では南部から移住してきた黒人たちがそれなりの政治力を築いており、引き渡しに反対する運動が広がった。法が白人による暴力を許容している様子と同時に、それに対する黒人や一部の白人の抵抗を生々しく描いているところもこの本の魅力。

ほかにも、第二次世界大戦への従軍し、自分は国のために命を賭けて戦ったのだから平等の権利があるべきだ、という信念を抱いた黒人兵士たちが南部の米軍基地に勤務し、地元のバスの人種隔離や運転手による暴言・暴力に抵抗した結果、運転手に射殺されたケースの分析、南部の司法当局による黒人への人権侵害に対する連邦政府の対応やそれを求める黒人運動の動き、警察による黒人の殺害とその正当化・犠牲者への攻撃など、現在にも続く不平等な法の執行とそれに対する抵抗運動が紹介される。リコンストラクションと公民権運動のあいだの時期にも黒人たちは自由と平等を求めて戦い続けてきたし、いまもそれは続いている。

本書のエピローグでは、研究のなかで発掘された、1945年に留置所内で殺害されたジョージ・フロイドという黒人男性の存在について触れられている。1945年のジョージ・フロイド氏はフロリダ州で樹木油を抽出する危険な仕事に携わっていた労働者で、ある土曜の夜、酔っ払っていたとして留置所に入れられた。留置所内でフロイド氏は屈辱的なボディチェックを繰り返し受けさせられ抗議したが、その結果警察官によって他の職員や囚人の目の前で殴打され命を落とす。この事件が歴史に残されたのは、かれの兄弟が真相究明を求めて黒人団体に手紙を出したおかげであり、市や州の文書には留置所内の死についてなんの記録も残っていなかった。結果として真相究明は行われなかったものの、その手紙のおかげでわたしたちはかれの死とそれを悲しみ行動を起こした黒人たちの存在を知ることができる。

ミネアポリスで警察官に首元を圧迫され殺された2020年のジョージ・フロイド氏の事件が世界的な反差別・反暴力の運動を呼び起こしたのは、たまたまその場に居合わせたティーンエイジャーがその様子を動画に撮影し、ソーシャルメディアにアップロードした結果だった。それがなければ、さすがに現代においてかれの死自体が闇に葬り去られることはなかっただろうけれど、よくある「警察の正当防衛によって反撃された犯罪者、麻薬常用者、もともと不健康でちょっとしたことで亡くなってもおかしくなかった人物」として––警察はかれのことをそう決めつけて宣伝した––なんら記憶されることもなかったはず。

多数の実例により過去の歴史についてより実感を持って理解させてくれるとともに、奴隷制やジム・クロウの歴史はいまに続いているし、それらへの抵抗の歴史もわたしたちのいまの運動に続いている、と再確認させてくれる本だった。