Lucia Osborne-Crowley著「The Lasting Harm: Witnessing the Trial of Ghislaine Maxwell」

The Lasting Harm

Lucia Osborne-Crowley著「The Lasting Harm: Witnessing the Trial of Ghislaine Maxwell

児童性虐待や性的人身取引で逮捕され獄中で自殺したとされるジェフリー・エプスタインの元パートナーで共犯者のジーレイン・マクスウェルの裁判を連日傍聴したジャーナリストが、自身が経験した性虐待のトラウマやその後遺症に悩みつつ、エプスタインとマクスウェルの被害者たちの声に寄り添う本。本書はアメリカでは未発売だけれどイギリスで昨年出版されており、同じくアメリカ未発売のショーン・フェイの「Love in Exile」を入手するついでにこちらも読んだ。

著者自身が現在も経験しているトラウマの後遺症がかなりヘヴィーで、こんな事件に深く関わり被害者たちの話を聞いていて大丈夫だろうかと不安になるのだけれど、著者もサバイバーだからこそ取材対象から信頼を得られたり声を引き出せたりするのも確か。と同時にそうした姿勢がマクスウェル擁護派からは「バイアスがある、ジャーナリスト失格」と批判されるが、これは古くから女性やマイノリティに関する問題に関わる女性やマイノリティのジャーナリストたちが受けてきた不当な非難と同じ。そうでなくても近年、財産や権力のある人たちが自分たちに対する性加害や差別の訴えを「名誉毀損」として裁判に訴えて被害者やジャーナリストを黙らせようとすることが増えており、著者も訴訟を恐れたメディアによって記事の内容を制限されてきた。

マクスウェルは若い女性や少女たちが憧れる綺麗で洗練されたお姉さんとして振る舞い、エプスタインが気に入りそうな少女や大人しく従いそうな少女を選抜し、彼女たちや親たちの信頼を得て彼女たちをエプスタインの別荘に呼んだりし、エプスタインが加害することを手助けしていた。裁判ではマクスウェルの弁護士は彼女はただその場にいただけで、エプスタインが自殺して裁判にかけることができなくなったから彼女はその身代わりにされていると主張したが、マクスウェルがいなければエプスタインの行為は不可能だった。

そもそもマクスウェルの刑事裁判の対象となったのは多数の被害者のうち4人の事件だけで、大多数の被害者たちは証言することを望んでも招かれず、被害を裁判の場で公的に認定される機会を得られなかった。にもかかわらずプライバシーを侵害されたうえで、起訴に含まれなかったということは被害は事実でなかったか大したものではなかったのだろうと言われる。マクスウェルは刑事裁判に先立って被害者たちに示談金を支払う基金を設立しており、被害者たちは既に決められた額の示談金を受け取っていて刑事裁判で証言しても何も個人的に得るものはないのに、金銭や売名目当てだと叩かれる。

本書は刑事裁判で証言を認められた被害者だけでなく、起訴事実に含まれることがなかった被害者を含め、多数の被害者に取材し、また裁判を連日傍聴することで、刑事司法制度がサバイバーたちの救済や癒やしに程遠いこと、metoo運動へのバックラッシュとしてメディア環境が力の弱い被害者たちに厳しく、財産や権力のある側に有利になっていることを告発する。アメリカでの出版が遅れていることには後者の事情が関係しているのか分からないけれど、とても大切な記録だと思う。