Lieba Faier著「The Banality of Good: The UN’s Global Fight Against Human Trafficking」
ハンナ・アーレントが語った「悪の陳腐さ」になぞらえた「善の陳腐さ」をタイトルに、2000年代以降に国連やアメリカ国務省が推進した反人身取引の取り組みが引き起こした事態について、日本で性的人身取引の被害にあったフィリピン人女性たちの経験と、彼女たちをめぐる民間団体や各国政府の動きに注目し報告する本。著者はUCLAのテラサキ日本研究センターの研究者で、英語・日本語・タガログ語を話せる。
日本で働くフィリピン人女性が反性的人身取引の取り組みによってどのような影響を受けたかについては、2011年に出版されたRhacel Salazar Parreñas著「Illicit Flirtations: Labor, Migration, and Sex Trafficking in Tokyo」で詳しく報告されている。2000年代にアメリカ国務省が「人身取引への取り組みの有無」を基準に世界各国をランク付けする年次報告書を発表するようになり、その2004年版でエンターテイナーとして多くのフィリピン人女性が働いていた日本のランクを下げたところ、日本政府が慌ててエンターテイナービザの支給基準を厳しくしたり、人身取引被害者への支援プログラムを開始したりした。その結果、日本に出稼ぎして家族を支えようとするフィリピン人女性は減らないのに合法的に入国できなくなり、ブローカーを頼って偽装結婚して入国するなどする人が増え、かえって彼女たちの立場は弱くなり搾取されやすくなった、とParreñasは書いている。この部分に関しては本書も基本的に同じことを書いているが、当時のアメリカ大使館が日本政府との交渉について本国とやり取りした外交公電(チェルシー・マニングがウィキリークスに流出させたやつ)が参照されている点が新しいといえば新しい。
「Illicit Flirtations」ではParreñasが実際にフィリピンパブにホステスとして潜入し女性たちへの取材などから日本政府がフィリピン人女性の入国審査を厳格化する前とした後を比べたのに対し、本書はさらに長いスパンで国際的な人身取引への取り組みの成立とその運用における妥協や欺瞞、すなわち善の陳腐さを指摘する。たとえば日本でエンターテイナーやホステスとして働くフィリピン人女性の多くは経済的な必要性から自分の意思で出稼ぎをしており、人身取引という時によく想定されるような「無理やり連れ去られて仕事を強要された」被害者ではないが、しかしその立場の弱さからブローカーに騙されて望まない仕事(性労働を含む)をさせられたり、約束されていた報酬をもらえなかったり、パスポートを奪われ自由な行動ができないなどの被害を受けた人は少なくない。彼女たちは日本から逃げ出したいのではなく、約束通りの条件で仕事をして家族に仕送りしたい、貯金したいと思っているのだが、国際的な人身取引への取り組みはそのような当たり前の希望を叶えるようにはできていない。
日本で被害者として認定されたフィリピン人女性たちは、意欲だけはあってもリソースがまったく足りていない民間支援団体か、外国人女性を支援するようには設計されていない公的な婦人相談所(もともと売春防止法で作られ、いまではドメスティック・バイオレンス被害者のシェルターになっている)に連れて行かれ、よりちゃんとした条件で仕事を続ける機会も与えられず、ケアも早々に本国に送還される。日本政府は人身取引被害者のケアのためとしてフィリピン政府に一定の予算を提供しているが、それが直接被害者たちのケアに当てられることはない。渡航のために、あるいはブローカーに仕事を紹介してもらうために相当のお金を払って日本に行った女性たちにとっては、どんなに苦しくても「被害者」として政府に認定されても借金が増えるだけでろくなことはない。また、政府や支援組織のあいだの連携もないので、最終的に彼女たちのためになっているのかどうかも分からないまま、送還された女性の人数だけが成果として積み重なり、予算が費やされる。
著者が正しく指摘するとおり、これは人身取引を一部のブローカーや悪徳業者による犯罪としてのみ扱い、国際的な経済格差やフィリピン・日本両国における社会保障の欠如や性差別・民族差別など構造的な要因を無視したことによって起きる問題だ。フィリピン人女性たちが遠く離れた日本で人身取引や労働搾取の被害を受けているのは、植民地主義の歴史を背景とした経済的格差があり、生まれた国や家庭によって教育や仕事の選択肢が大きく左右され、また性差別や民族差別が文化的に根付いているからであって、悪徳業者がいるからではない。間違った問題認識は間違った被害者像を生み出し、人身取引の被害を受けたかわいそうな被害者は悪徳業者のもとから救出して本国に返してあげればいいんだ、という間違った対策を導き出すが、これは国家によるさらなる暴力でしかない。当然ながら、このような対策は実際の人身取引を減らすことにも繋がらない。
国際的な人身取引への取り組みは暴力や搾取の加害者の責任を追求し、被害者を「支援」するルールを世界に張り巡らせようとしているが、肝心なのはそうした暴力や搾取が起きる環境を是正することだと著者は主張する。フィリピン人女性がわざわざ外国に出稼ぎに行かなければいけない状況や、行くにしても怪しげなブローカーに頼り法的にグレーな立場に身を置かなければいけない状況、そして外国人やその他の立場が弱い労働者たちの搾取を可能にしている社会的状況などを是正することこそ、彼女たちが人身取引やその他の労働搾取の被害を受けることを防ぐことに繋がる。ごもっとも。
わたしから見ると著者はこれでも反人身取引の取り組みに好意的すぎるというか、とくに民間団体の主張を信用しすぎな気がするのだけれど(本書で引用されている日本やフィリピンの団体にもおかしなところがある)、アメリカ国務省の外交公電で日本の民間団体がディスられているのはさすがに気の毒。そーいえば最近日本でもあったよね、いろいろツッコミどころがある民間団体があまりに理不尽に攻撃されていて仕方なく擁護せざるをえない状況…。