Leigh Goodmark著「Imperfect Victims: Criminalized Survivors and the Promise of Abolition Feminism」
性暴力やドメスティック・バイオレンス、性的人身取引の被害者たちの多くが、刑事司法制度によって守られるのではなく、逆にそれらの被害に関連した行為によって罪に問われ処罰を受けている実態を告発するとともに、刑事司法制度による処罰を通して女性への暴力を抑止しようとする監獄フェミニズム(carceral feminism)からアンジェラ・デイヴィスらが提唱する監獄廃止主義フェミニズム (abolition feminism)への転換を訴える2023年の本。
法学者の著者は、本書の5年前に出した「Decriminalizing Domestic Violence: A Balanced Policy Approach to Intimate Partner Violence」において刑事司法制度を通したドメスティック・バイオレンス対策の問題点を指摘したが、「ドメスティック・バイオレンスの非犯罪化」というタイトルとは裏腹に、非犯罪化ではなくさまざまな刑事司法制度の改革を提言していた。当時の著者は刑事司法制度がドメスティック・バイオレンスの抑止に大して有効ではなく、さまざまな弊害により多くのサバイバーたち、とくに黒人女性やクィア&トランス女性のサバイバーたちをさらに追い込んでいることを指摘しつつも、かといって刑事司法制度を改善する以外にどのような対策が取れるのか自信が持てずにいた。それから5年後、ブラック・ライヴズ・マター運動による警察予算削減の呼びかけや監獄廃止主義フェミニズムの広がりを経て書かれた本書は、監獄廃止主義フェミニズムについての理解を深め、かつて自身が主張した刑事司法制度改革の一部を批判するようになった著者の学びを反映したものだ。
本書の主張に圧倒的な説得力を持たせるのは、性暴力やドメスティック・バイオレンス。性的人身取引の被害を受けつつ、逃亡したり生き延びるためにとった行動により留置所や刑務所に入れられた多数の女性たちの存在だ。そこに含まれるのは、暴力から自分や子どもを守るための自衛行為が正当防衛と認められなかったり、加害者の犯罪行為に無理やり加担させられたり、逃げるために犯罪を犯してしまったサバイバーたちだけでなく、自分自身も虐待されていたせいで加害者による子どもの虐待を止められなかった母親として時に実際の加害者より重い刑罰を受けた人や、裁判で被害者として証言させるために検察により留置所に「重要参考人」として拘束された未成年たちもいる。裁判の過程において犯行当時自分が虐待の被害を受けていたという事実そのものを証言したり立証しようとすることを判事によって禁じられることも多く、状況を正しく説明することもできないまま有罪を認めさせられることも少なくない。実際、現在アメリカの刑務所に殺人罪で収監されている女性の大多数は実際の殺人には関わっておらず、パートナーの男性によってその場に居合わさせられたり証拠隠滅や逃亡などに協力させられて共犯者に仕立てられた人たちで、その多くはその男性による虐待によって協力を拒めない状況にあった。
警察や留置所を管理するシェリフ(保安官)、刑務所の看守らによるサバイバーの女性たちへの暴力も深刻な問題。警察による、主に黒人女性ら非白人の性労働者や性的人身取引被害者、移民女性たちを標的とした性行為の強要や性虐待は頻繁に各地で問題とされているが、実態は報道されている何十倍もあるはずだし、そうでなくとも留置所や刑務所、移民収容所の存在そのものが収容されている人たちを全裸にしての体腔検査などを通して日常的に彼女たちの性的尊厳を侵害している。暴力による被害から救ってくれるはずの刑事司法制度がさらにサバイバーたちを侵害し、彼女たちから虐待から逃げるための手段を奪っていく。
本来なら罪に問われるべきではなかった、あるいは大幅に情状酌量されるべきだったサバイバーたちを救済する一つの手段は、司法制度を通した仮保釈申請や、知事や大統領による恩赦だ。しかし仮保釈制度はその条件として「罪を認めて反省している」ことが重視されており、虐待などの結果やむを得ずに取った行為によって処罰されたという主張は「責任逃れであり反省していない」として申請却下の理由とされがち。また知事や大統領の恩赦による釈放や減刑は政治的に不人気で滅多に実行に移されないため、不当に収監されたサバイバーたちの救済手段としてはまったく不十分。特定のサバイバーの恩赦を求める運動は、少数であっても救える人を救い、サバイバーたちが収監されている事実を社会に突きつけ、対象とされている人だけでなくその他大勢のサバイバーたちに「あなたのことは忘れていない」というメッセージを発するためには重要だが、刑事司法制度の弊害を取り除くにはスケールが足りなさすぎる。
これまでも何度か取り上げたとおり、監獄廃止主義フェミニズムは長期的には警察や刑事司法制度の改革ではなく警察や刑務所を必要としない社会の建設を目指すものの、いま現在それらの制度に絡み取られ自由と尊厳を奪われている人たちの状況を改善するための制度改革には必ずしも反対しない。デイヴィスらが「改革主義的ではない改革(non-reformist reforms)」と呼ぶアプローチは、改革の結果として警察や刑務所の予算や権限・社会的役割・正当性を縮小させ、現にいま苦しんでいる人たちを少しでもそこから解放するタイプの改革を支持する。たとえば恩赦により一部のサバイバーを釈放するよう知事や大統領に圧力をかける運動を著者は支持するが、刑事司法制度によるサバイバーへの攻撃への解決策として恩赦の基準を標準化するような動きは予算拡大や正当性の捏造を伴うので基本的に支持されない(が、いま苦しんでいる人たちの救済と体制強化がトレードオフの関係にある場合、どこまで許容できるかは論者によっても判断が異なる)。
次から次へと刑事司法制度によって苦しめられているサバイバーの話が出てきて、しかも彼女たちがレイピストや人身取引の加害者などよりむしろ重い刑罰を受けていることが延々と語られているので、正直めっちゃメンタルに来る内容。でも性暴力やドメスティック・バイオレンス、性的人身取引に関する政策に関わる人には絶対読んで欲しい。監獄廃止主義フェミニズムに同調しない人もいるだろうけど、本書を読めば、少なくとも現状維持は認められないし、現状路線の延長線上にはサバイバーの解放がない、ということは伝わるんじゃないかと思う。