Kate Wright, Martin Scott, & Mel Bunce著「Capturing News, Capturing Democracy: Trump and the Voice of America」

Capturing News, Capturing Democracy

Kate Wright, Martin Scott, & Mel Bunce著「Capturing News, Capturing Democracy: Trump and the Voice of America

アメリカ政府が資金を提供する海外向けの国有独立ニュースメディア「ボイス・オブ・アメリカ」(VOA)の報道に対する政治的な介入についての本。

もともと第二次世界大戦中に敵国であるドイツや日本の国民に直接アメリカの視点からのニュースを届ける目的で設立されたVOAだが、冷戦がはじまると、信頼できるメディアが発達していない国や地域の人たちに向けてアメリカの文化やアメリカ政府の政策についての情報を届けるとともに、正確で客観的な報道を提供するという使命を与えられた。民間のメディアでは報道に対する信頼性を維持するために同じ企業のなかであっても経営と編集のあいだに壁が設けられ、経営上の都合や広告主の利益などによって報道が捻じ曲げられないようにする仕組みが存在するが、VOAでも同様に時の政権から報道に対する直接の干渉を避けるための防壁が設けられた。もちろん実際には、民間メディアでも経営陣が報道内容に介入したり経営に都合の悪い記事を載せた編集者や記者を解雇したりすることがあるように、VOAも政府からの介入を受けることが時にはあったが(9/11同時多発テロ事件のあとにタリバン指導者のインタビューを配信しようとしたところ止められた、など)、編集の独立や報道の自由はおおむね守られてきた。

しかし主流メディアを「フェイクニュース」として対決する姿勢を見せたトランプが大統領になると、VOAの報道に対しても偏向している、マルクス主義者によって運営されている、といった攻撃がはじまる。強硬な反共主義とトランプを応援する陰謀論の拡散で極右からの支持を集めている法輪功系のメディア・大紀元時報(エポックタイムズ)が「VOA内部は中国共産党のスパイに牛耳られている」というデマ記事を流した結果、VOAの報道を見たことも聞いたこともない極右のあいだでVOAに対するバッシングが広まった。またVOAは世界各地に向けて50以上の言語でニュース番組を制作していることもあり、多数の外国人ジャーナリストや通訳を雇っているが、トランプ政権はムスリムが多数の国の出身者を中心にかれらのビザ更新を妨害するなどし、多くのジャーナリストを失職・国外退去に追い込んだ。VOAが自分を貶めるために米国におけるコロナウイルス・パンデミックの被害を誇張していると怒ったトランプは、VOAをはじめとするアメリカの国営メディアを統括する米国放送理事会のCEOに極右ドキュメンタリ作家でスティーヴ・バノンと親しいマイケル・パックを任命、就任したパックはすぐさまそれらのメディアの幹部を解雇しトランプの信奉者たちに交代させた。

ブラック・ライヴズ・マター運動の扱いについてもトランプとパックはVOAの報道姿勢を変えようとした。VOAが過去にアメリカ国内の人種差別やその他の社会問題について触れた際は、社会問題の事実を報じたうえで、アメリカ人たちが力を合わせて問題を解決するために努力していることを強調することで、アメリカに良い印象を抱かせるような報道姿勢が取られた。しかし2020年のBLM運動をめぐっては、平和的な運動についての報道が多すぎる、もっと暴動や警察との衝突やについて報道するべきだ、という圧力がかかり、アンチファのことを(ファシズムに反対する多様な人たちやグループの漠然としたまとまり、という実態ではなく)よく組織された全国的なテロ団体であるかのような扱いをするような指示が出された。2020年の大統領選挙についても、バイデン候補の集会での発言について触れた部分が「報道の体でバイデンへの支持を広げて選挙に影響を与えようとしている」として不適切だと決めつけられ、記事が取り下げられたりした。またパックはVOAで働くジャーナリストたちが政治的に偏向しているという疑いを抱き、かれらのメールの監視と分析を民間業者に依頼したりもした。

本書ではそうしたVOAの急激な変化が、必ずしもトランプやパックからの直接の指示によるものではなく、かれらが作り出した職場環境のなかでジャーナリストたちが自主規制してしまった結果である側面が強いことを指摘している。とくにVOAで働いていた外国人ジャーナリストたちは、VOAを解雇されたら労働ビザを取り消されて出身国に帰らなくてはいけない。多くの場合かれらの出身国はVOAが「VOAが必要とされている=民主的メディアが存在しない」とみなしている国や地域であり、アメリカ政府のメディアで働いていたジャーナリストたちがそうした国に帰れば敵国アメリカのスパイとして扱われるおそれが強く、身の安全は保証されない。かれらが理不尽にトランプやパックのやり玉に挙げられないように、報道内容を自主規制してしまうのは当たり前だった。

本書ではまた、VOAにおける政治介入を他国の国営メディアのそれと比較することにも力を入れている。ロシアや中国のような非民主的な国やインドやハンガリーなど権威主義によって民主主義が脅かされている国では、なんの恥じらいもなく国家がプロパガンダの道具としてニュースメディアを運営していることが多いが、民主国家における国有・国営メディアは少なくとも建前としては編集が政府から独立していることを標榜している。しかしイギリスのBBCや日本のNHKのようなそうしたメディアも、たとえばボリス・ジョンソン首相時代のイギリス政府はブレグジットをめぐってBBCがヨーロッパ主義に偏向しているとして報道に介入しようとしたし、安倍晋三首相時代の日本でもNHKの籾井勝人会長が「慰安婦」問題について政権の意見を代弁したかのような歴史否定主義的な発言をして注目された。とはいえ他の民主国家におけるそうした問題と比べても、トランプ政権時代のVOAに対する統制は一線を画している。

BBCやNHKにも海外向けの部署(BBC WorldやNHK World)があるが、VOAは海外向け専門でありアメリカ国内向けの報道を行っていない点がそれらと異なる。実はVOAのニュースサイトのアクセスはアメリカ国内からのものが最も多いのだが、よく見るとそれらはアメリカ国内のVPNを通して閲覧していることが多いらしく、おそらく報道の自由が認められていない海外からのアクセスが多数を占めていると考えられる。BBCやNHKに対する政治的圧力については一般視聴者からの反発が起こり得るが、VOAの報道に日常的に触れているアメリカ人がごく僅かであることから、VOAに対する政治介入を防ごう、という声があがりにくい事情もある。しかしその気になればVOAが国内向けの報道をはじめることも可能であり、権威主義的な大統領によるVOAの私物化、そしてそれを通した民主主義の破壊の危険を本書は訴える。まあVOAを私物化するまでもなくもうFOX Newsやその他の極右メディアがたくさんあるじゃんって気もするんだけど、連邦政府の資金で運営されるトランプ礼賛チャンネルが登場するなんてまじイヤだしやめてほしいのは確か。