Justin Tinsley著「It Was All a Dream: Biggie and the World That Made Him」

It Was All a Dream

Justin Tinsley著「It Was All a Dream: Biggie and the World That Made Him

もし生きていれば今年で50歳になっていたラッパーNotorious B.I.G.(ビギー)の新しい伝記。とはいえヒップホップの歴史でビギーとかれのライバルとされたTupac Shakur(2pac)ほど擦られてきたレジェンドはいないわけで、なんでいまさら新しい伝記を出すの?という疑問は著者自身も思ったらしく、編集者からこの本を書かないかと誘われたとき思わずメールを削除しそうになったという。なんとか思い直して既存の伝記やドキュメンタリなどだけでなく新たに多数の関係者へのインタビューを行って書き上げられた本書は、これまでの伝記に比べよりスターとしてのビギーではなくクリストファー・ウォラスという人間とかれが生まれ育った環境に目を向けている。驚くような新事実はないし、ビギーと2pacを殺した犯人が誰なのか名指しするみたいなことももちろんないけど、それなりに読める内容になっている。

いまではジェントリフィケーションのせいで大人気スポットとなっているブルックリンのベッドスタイは、ジャマイカ移民の子としてクリストファーが生まれたときには貧しい黒人が住む荒れた地域だった。幼いうちから周囲のことに興味を持ち文字が読めるようになると本や新聞を読み漁ったクリストファーは、学校でもとくに国語(英語)で良い成績を取り、将来は奨学金を得て有名大学に進学するだろうと期待される。しかし当時は公民権運動やブラックナショナリズムへの反動から社会の保守化が進み、福祉予算が削減されるとともに警察による黒人コミュニティの取り締まりが強化される一方、クラック・コカインの流入で犯罪は増加し荒廃が進んだ時代。進学や就職に期待を抱けない若者が大挙して危険なドラッグ売買の世界に足を踏み入れる。クリストファーもそうした若者の一人で、ヒップホップに出会ってからも音楽プロデューサーから契約金をもらうまではノースカロライナとブルックリンを往復してドラッグを売っていた。この本では、レーガン政権以降の「麻薬との戦争」やクリントン政権の「福祉制度改革」と反犯罪法など大きな政治的な動きとそれらがクリストファーやその他大勢の黒人の若者たちに与えた影響が掘り下げられる。

そうした背景を持つクリストファーがその経験をリリックに乗せて人気アーティストとして活動したのはほんの数年のあいだ。そのなかで紡がれた2pacとの友情と行き違い、そして東西抗争の勃発と両者の殺害は、いま思い出してもとにかく悲しい。と同時に、2pacの性暴力事件(本人は否定)やクリストファーの妻をめぐる両者の公でのやり取り(2pac「Hit ‘Em Up」など)、そしてクリストファーの数多い不倫とその言い訳など、25年前の話とはいえ女性の扱いのひどさが目立つのは、いまの価値観から書かれた伝記だからこそかも。

終盤に提示される、クリストファーが殺害される4ヶ月前(2pacが殺害された2ヶ月後)に生まれた息子のC.J.ウォラスのインタビューが新しいといえば新しい。C.J.がまだ子どもの頃に製作されたビギーの伝記映画に子ども時代のクリストファー役として出演したC.J.は、インタビューの時点でようやく父が殺されたときの年齢に追いつき、父はこんなに若い年齢であれだけの成果を残して死んだんだと、いう実感が伝わってくる。かれはいま父親のレガシーを継承するThink BIGというマリファナ製品ブランドを経営し、大麻合法化だけでなく刑事司法制度改革や貧困地域の支援に関わっているという。ちなみにかれの姉もNotorioussというファッションブランドの服を売っているらしい…と聞いて調べてみたら、普通にビギーTシャツとか売ってたw 命の危険を感じながらストリートで麻薬を売っていた経験から「自分の子どもたちには同じことをさせたくない」と言っていた父クリストファーは、その息子が自分の名前を使って商売したり、麻薬取り締まりによる弊害をなくすための活動をしていることを知ったら満足するだろうか。

わたし個人の話だけど、まだビギーと2pacの殺害から数年しかたっていないころポートランドに住んでいて、アウトロー系の人たちが周囲にいたんだけど、その人たちはウエストコーストギャングのアイデンティティから2pacを誇りに思う一方ビギーを敵視していたので、お前ら別に2pacを知っていたわけじゃないしラップできねーじゃん(実は頼まれてかれらのためにビート作ったことある)くだらねーって思ってたんだけど、無意識のうちにビギーに対する偏見を抱いていたらしく、ビギー側から書かれたこの本を読んで改めて「やっぱこれ一方的に2pacが悪いじゃん」と思ってしまった。いやそんな単純な話じゃないとは思うんだけどね。