Jason Stanley著「Erasing History: How Fascists Rewrite the Past to Control the Future」

Erasing History

Jason Stanley著「Erasing History: How Fascists Rewrite the Past to Control the Future

ファシズム化を推し進めようとする政治勢力による教育への介入についてファシズムについての著書が複数あるイェール大学の哲学者が論じる本。「歴史の抹消:ファシストはどのようにして過去を書き換え未来を支配するか」というタイトルだけど実際には歴史の話はそれほどない。

著者がファシズムを推し進めていると指摘するアメリカの右派勢力がどのような歴史観を持つのか、歴史学者から失笑を買ったトランプの「1776プロジェクト」などを通してナショナリズムから白人至上主義、そしてファシズム的な権威主義への流れを追うところは、まあこれまでさんざん他の本でも指摘されてきているところで、あまり特筆するものはない。実際の歴史教育への介入についての具体的な話は、ジャーナリストや教育学者・歴史学者らの著書のほうが詳しいし。

本書のおもしろいところは、右派が「ウォーク」イデオロギーや批判的人種理論などに支配され洗脳と化した(とかれらが考える)現代の教育を否定する一方で、教育の本来あるべき姿だとして称揚する「古典的教育」の実態について書かれた部分。古代ギリシア・ローマ文明にはじまり近代までのヨーロッパの崇高な歴史・文学・思想を中心に据え、真美善の価値を自由かつ理性的な議論によって追求する古典的教育は、その自由民主主義的な建前とは相反し、ヨーロッパ文化の優位性の証拠として扱われ植民地主義や侵略戦争の正当化にも使われてきた。ヒトラーの「我が闘争」でもドイツは古代ギリシア・ローマ文明の後継者だと書かれていた。実際に「古典的教育」を行っていると称するアメリカの私立大学では、ヨーロッパの古典文学や思想に関する授業とともに、アメリカが世界の希望であるという授業や、アメリカ左翼の陰謀、サプライサイド経済学など、古典とは関係のない極度に政治的な傾向の強い授業が行われている。

かつて植民地とされた地域出身の地元のエリートたちは、宗主国の大学で古典的教育を受け、その論理を武器にして植民地の自治や独立を勝ち取ろうとした。同様に、ファシズム教育に対抗する手段として古典的教育を逆手に取ることは不可能ではないが、実際に古典的教育を行っていると自称している教育機関が行っているのは、古典的教育ではなく白人至上主義教育や白人キリスト教ナショナリズム教育だ。古典とされる文学や思想にはもちろん現在でも教育に採用されるだけの価値があるが、それを自らの文化や国家の優位性の根拠とするのはヒトラーが「我が闘争」で展開した議論と同じであり危険だと著者は訴える。