Erika Nesvold著「Off-Earth: Ethical Questions and Quandaries for Living in Outer Space」

Off-Earth

Erika Nesvold著「Off-Earth: Ethical Questions and Quandaries for Living in Outer Space

人類の宇宙への移住に伴う倫理的課題について、まだそれが実現していない今のうちに議論を進めようとする意欲的な本。

著者は宇宙物理学者にしてコンピュータによる物理シミュレーションの専門家だが、宇宙開発に関わるヴェンチャー起業家や科学者と話しているうちにかれらの多くが将来宇宙で起きる倫理的問題について深く考えようとしていないことに気づく。Mary-jane Rubenstein著「Astrotopia: The Dangerous Religion of the Corporate Space Race」でも批判されているジェフ・ベゾスやイーロン・マスクらに代表されるように、かれらの多くは政府の規制や倫理的な制約を受けない無政府資本主義的な宇宙開発を理想化しがち。

有名なSFテレビ番組で宇宙のことが「最後のフロンティア」と呼ばれていたように、特にアメリカでは宇宙への進出は自由を求めるヨーロッパ人たちによるアメリカ大陸への移住と植民地化の理想化されたイメージで想像される。そうした想像の中では先住民に対するジェノサイドやアフリカからの奴隷貿易などの深刻な人道的問題が消去されているだけでなく、白人社会の繁栄が先住民の狩猟や採集の知識や黒人奴隷の労働力によって支えられていたことも忘れ去られている。宇宙進出においては(少なくともわたしたちが知る限り)先住民と呼びうる知的生命体は存在しないのだから過去の植民地主義の教訓は関係ないかと思われがちだが、ジェノサイドや奴隷制を消去した理想化された植民地主義のイメージ自体が有害だし、宇宙への移住においてあらたな人道問題が起きる危険から目をそらさせてしまう。

ベンチャー企業が構想するスペースコロニーは、歴史的に東インド会社をはじめとする民間企業が世界各地で行った植民地統治と同じように、あるいは近年グーグルがトロントのある地区に建築しようとしたスマートシティと同じように、ある一社あるいは一グループがそのコロニーのインフラや市場から統治まで担当する、一種のカンパニータウンのかたちで想定されている。カンパニータウンにおいては一つの独占的な雇用者が強大な権力を持ち、住居もその企業から賃貸し、買い物するにもその企業が運営する店舗しかないといったなか、労働者の自由が制限されがちだが、スペースコロニーでは簡単には地球や他のコロニーに移動できないし、仕事ができなくなった人がそれまでと同じようにコロニー内の空気を吸い水を飲めるのかも定かではないため、さらに過酷な搾取が起きる危険がある。

スペースコロニーの初期においては、リソースが希少なため、そこに移住して新たな社会を築く人の人選は厳しくなりそう。具体的には、コロニー社会に必要な技能を持っていて仕事ができる人が歓迎され、子どもがいる人、障害者、高齢者などは断られるだろう。現在の宇宙開発の延長線上にコロニーが建設されるとすると、そのメンバーの多くは英語を話す高学歴の白人男性の比率が高くなることが予想されるが、そうした人たちによってコロニーが設計されることによって新たな社会が地球上の社会階層が再生産されてしまう。医療リソースが希少なうちは誰にそのリソースを与えるかをめぐってトロッコ問題やライフボート問題のような状況が起きるし、仮に地球の環境がさらに悪化して人類の生存が脅かされたら誰がコロニーに脱出できるかをめぐってさらなる倫理的状況が生まれる。

ほかにも、リソースの希少さから社会的な人口計画の必要性が高まるスペースコロニーにおいて女性のリプロダクティヴ・ライツがどのような影響を受けるのか、宇宙で生まれた子どもが地球に帰る権利はあるのか(一時的に宇宙に滞在する宇宙飛行士ですら低重力により骨などに影響を受けるので、宇宙空間で生まれた子どもは地球の重力に耐えられないかもしれない)、すでにスペースデブリが問題となる中宇宙空間の環境保護にどのような責任を課すのか、犯罪を犯した人にどう対処するのか、亡くなった人の遺体をどうするのか、など刺激的な課題がたくさん。もともと宇宙開発に熱心だった著者が、倫理学者や社会科学者との対話を通してこうした問題について考えていく過程もおもしろい。

もちろん現状の科学技術ではスペースコロニーの実現には程遠いのだけれど、実際になし崩し的におかしな宇宙開発が進んでから議論しても遅いので、いまから議論が必要。とはいえそれ以前の問題として、そもそも宇宙に移住するべきなのか、宇宙に人類が居住できる空間を作るくらいならいまある地球の居住環境を守り改善していくほうがずっと簡単だしコストも低いのではないか、と思うんだけど。仮に長期主義的な効果的利他主義の立場から人類が地球外で存続できる手段を確保するべきだと考えるとしても、とりあえず今後数十年くらいは宇宙開発はシミュレーションだけにして、限りあるリソースを地球の貧困改善や環境改善に注力してもいいんじゃないかと。