Tracy Slater著「Together in Manzanar: The True Story of a Japanese Jewish Family in an American Concentration Camp」

Together in Manzanar

Tracy Slater著「Together in Manzanar: The True Story of a Japanese Jewish Family in an American Concentration Camp

第二次世界大戦中、マンザナー日系人収容所に収監された日系人二世カール・ヨネダさんとロシア系ユダヤ人のイレイン・ヨネダさん、そして当時三歳で日系とユダヤ系のミックスの子どもからなる日系とユダヤ系のミックス家族の経験を追った本。

のちに日系人の米軍従軍が認められた際、まっさきに志願してビルマ戦線に参戦したカール・ヨネダさんはアメリカの日系人社会ではいろいろな意味で有名人だけど、本書はあまりよく知られていなかった(というかわたしは知らなかった)イレインさんに注目し、彼女が直面した究極の選択とその結果について詳しく伝えている。

カール・ヨネダさんは広島出身の両親を持つ日系二世で、日本に渡って教育を受けたのちアメリカに戻ってきたいわゆる「帰米二世」。アメリカ共産党に加入し労働活動家として活躍するが、日本軍による南京虐殺にショックを受けて反ファシズムの活動をはじめ、日本軍の艦隊がロサンゼルスに寄港した際に抗議活動をして逮捕されたときに出会ったのが、同じく労働活動家のイレインさん。当時カリフォルニア州では異人種間の結婚は禁止されており、双方の家族にも反対されたが、ワシントン州で結婚してトミーという男の子をもうける。

日本軍の真珠湾攻撃により日米戦争が開戦すると、カリフォルニア州を中心に排日運動が巻き起こり、アメリカへの帰化が認められていないため日本国籍だった移民一世だけでなく、生まれながらアメリカ国籍を持っていた日系二世やトミーのようなミックスの日系三世らも西海岸全域からの強制退去および強制収容の対象となる。ちなみにカールがメンバーとして活動していたアメリカ共産党も港湾労組も一斉に日系人の除名を決議し、強制収容政策に反対しなかった。

カールとイレインは強制収容政策は人権侵害だと考えながら、ファシズムの打倒が優先だと考えて政策には大人しく従い、カールは米軍への入隊、イレインは軍需産業への就職を希望したが、問題はカールの米軍入隊が認められた場合、もともと病弱で細やかなケアが必要な三歳のトミーがどうなるかという問題。収容所の中には孤児院も作られると言われても安心できるはずがなく、トミーがアメリカの安全保障への脅威とみなされ収監されるなら自身もカールとトミーを追って収容所に入ることを決意する。しかしイレインには前の夫とのあいだに娘がおり、トミーを守るために収容所に行くことは娘を家族に任せて置き去りにすることを意味していた。

マンザナー収容所の環境は劣悪で、収容所内での労働へ対価として約束された賃金すらまともに払われない状態。そういうなか、収容政策に柔和的で日系人たちに「戦争が終わるまでは政府に協力しろ、そうすることで自分たちが愛国的なアメリカ人だと証明するのだ」と呼びかけた日系アメリカ人市民連盟(JACL)に対する批判は高まり、アメリカ政府が日系人を市民として扱わないのであれば日系人はアメリカに忠誠を捧げる意味がない、という声が大きくなる。ヨネダ夫妻は収容政策に協力的だった決して穏健派というわけではなく、JACLが親たちの祖国である日本のファシズムと戦って来なかったことを批判する立場。

いっぽう同じマンザナー収容所のなかでアメリカ政府に反旗を翻し、日本軍の勝利により自由を得ることを期待した代表格が、これまた日系人社会では超有名なジョセフ・クリハラ。クリハラは帰米二世ですらなく日本に住んだこともなければ日本語も話せない日系二世で、第一次世界大戦では米軍に従軍し負傷した退役軍人だったが、日米戦争の勃発により軍への復帰を断られたばかりか人権を奪われ収容所に収監されたことで、アメリカを見放した人。収容所に収監されていた日本人や日系人のほとんどは収容に対する不満を抱えていたもののクリハラほど反米思想を持っていたわけでも日本の勝利を願ったわけでもなかったが、クリハラを中心とする少数の親日派による扇動により暴力的な衝突や暴動が起きる。

収容政策が長引き軍の人員不足が深刻化すると、カールら一部の日系人が求めていた米軍への入隊が認められるように。しかしアメリカに忠誠を誓う日系人とそうでない日系人を選別するためにアメリカ政府が行った質問は、収容されていた日系人や日本人たちをさらに分断することに。アメリカ軍に志願する意志があるか、日本や天皇への忠誠を放棄する覚悟があるか、と問う質問は、自分たちを人間扱いせず収容所に入れたまま命を捧げろという無茶な要求だったし、人種差別的な法律によりアメリカ国籍の取得が認められていなかった一世の人たちにとって無国籍になれと強いるのも同然。両方の質問にイエスと答えたカールは希望通り日本語と日本文化のエキスパートとして陸軍情報局に入隊してビルマ戦線に従軍した一方、カール以外の帰米二世や一世の一部はノーと答えた結果、戦後日本に送られることになる。クリハラは一世でも帰米二世でもないのに見知らぬ日本に戦後移住した例外中の例外。

カールが離れたあとのマンザナー収容所にはイレインとトミーが残されたが、クリハラら親日派はカールのかわりにかれらを攻撃対象にした。アメリカ政府も共産主義者のイレインを邪魔者扱いしていたのか、親日派による暴動が起きた際には政府に協力的な収容者たちを保護するいっぽう、イレインとトミーを置き去りにしておそらく意図的に親日派の標的とした。日系人の配偶者や子どもであっても白人の親戚がいて白人のコミュニティで生活するのであれば釈放するという方針が取られるが、政府のさまざまな部署がそれぞれ矛盾した規則を制定したりとどうすれば外に出られるのかわからない状態。またイレインの周囲には白人だけでなく黒人やメキシコ人、フィリピン人らさまざまな人種の人がいたが、そういう場合どうなるのかもわからない。最終的にイレインはトミーを連れて収容所から出ることができたが、このあたりの政府の方針の混乱は最近の移民に対するわけのわからない迫害にも通じる。

カールはビルマ戦線で日本兵と米兵双方の悲惨な死を見るが、新型の大型爆弾によって日本の敗戦が決定的になったというニュースを聞いて喜ぶも、その大型爆弾が投下されたのが母が帰国して暮らしていた広島だと知り絶望する。彼女は被爆しながら奇跡的に生き残ったけれど、引き裂かれ非人道的な扱いを受け究極の選択を強いられた挙げ句、繰り返し命を脅かされたヨネダ一家の経験は凄まじい。またもともと病弱だったトミーの健康は収容生活を経てさらに悪化し、冷戦および赤狩りがはじまるとロシア出身の祖父を持つトミーは「また収容所に入れられるの?」という心配に苛まれる。イレインが親戚のもとに残した前の夫との娘も母親に見捨てられた、自分は選ばれなかったという思いを抱き、さまざまな困難を経験した。

戦後、日系人収容政策には何の軍事上の根拠もなく、政府や軍自体もそのことを知っていながら人種差別に迎合していたことが証明されると、補償請求運動が広がる。カールとイレインはファシズムとの対決を優先させたことは間違ってなかったと言いつつ、アメリカ政府による人権侵害についてももっと正面から反対するべきだったと言うが、クリハラら親日派による暴力扇動や暴動を「人権を奪われた人たちによる抵抗運動」として評価されるような風潮には断固として反対した。暴動に参加した日本人や日系人の多くは日頃の不満を募らせて利用されただけだが、イレインとトミーを攻撃したクリハラだけは許せない、というカールの心情は理解できる。

当時のメディアや政治家による日系人に対する躊躇のない差別発言、たとえば日系人を害虫や害獣などにたとえるといった扱いと、同時に展開された収容所の美化宣伝、法を無視した日系人に対する迫害と矛盾だらけでどうすることが正解なのか分からない状態など、いまアメリカで進行中の移民や「本当のアメリカ人」とみなされない非白人に対する迫害と重なっており、タイムリーな内容。日系人収容政策についてわたしはそれなりに学んできたし、「再び同じことを許してはいけない」として9/11事件後の移民やムスリムの迫害に抵抗してきた日系人たちの運動にも参加してきたけれど、ここまで本当に同じようなことが21世紀にもなって起きるとは正直思ってなかった。

クリハラは間違っていたけどある部分は正しく共感できるところもあるし、カール・ヨネダとイレイン・ヨネダも自ら認めるとおり間違っていた部分もあったけどかれらなりに家族を守り戦後の人権回復を信じて戦っていた。日系人全体を代表しているわけでもないのにまるで代表しているようなフリをして勝手にアメリカ政府にすり寄って収容政策を支えたJACLももちろん間違いがあったけど、戦後のアメリカに日系人が存続するために必死になっていた。どれだけわたしたちが歴史から学ぼうと、わたしたちもいろいろ間違いをおかすだろうし、現代アメリカのファシズム化による被害を真っ先に受けているからこそお互い対立してしまうこともあるだろうけれど、地獄しか選択肢がないような状況に置かれてもその地獄を生き延びた先人たちには勇気づけられる。もはや「再び同じことを許してはいけない」と言っていられる状況ではない。いまは、ヨネダらに習い「再びファシズムを打倒し、自由を取り戻す」時だ。