Ellen Hunt著「Empire of Orgasm: Sex, Power, and the Downfall of a Wellness Cult」
オーガズム(性的絶頂)を通して世界を変えると称し、15分間かけて女性のクリトリスを刺激する「オーガズム瞑想」を広めたスタートアップ企業ワン・テイストとその創業者ニコル・デドンについて、FBIによる捜査とデドンら幹部の逮捕に繋がる調査報道を行ったジャーナリストが豊富な取材に基づいて内幕を明かす本。事件についてはネットフリックスでも「オーガズム瞑想 ワンテイスト社の実態」というドキュメンタリが公開されている。
デドンが提唱する「オーガズム瞑想」は、セックスではなくあくまで瞑想の一種であり、下半身をさらけ出した女性が原則的に男性によってクリトリスを刺激されることで自己肯定感や人との繋がりを感じるためのものだとして、女性の性を肯定しエンパワーする技術として宣伝された。もともとオルタナティヴ思想やヨガに興味を持つ人が多いサンフランシスコのソーマ地区に全裸ヨガのスタジオを開き、それに興味を持って近づいてきた人たちを勧誘、高級のテック労働者たちに高額のコースを売るいっぽう、それを払えない人たちを共同生活させてコーチや販売員として出来高払いで雇うように。
しかし当初ワンテイストは利益があげられず、支持者となったとある男性のテック富豪の資金援助でなんとか成り立っていた。もともとは女性の性を尊重するグループだったはずなのに、その男性が離れていかないように会員の女性をかれに充てがい、同時の集団のなかでそうした役割の女性に高い評価を与えてほかの会員より良い扱いをするなどして、デドンに都合のいい形に組織の価値観が歪められていく。会員の女性たちにはそのテック富豪に限らず金持ちの男性たちにコースを売りつけるために性的奉仕をさせ、その売り上げで競わせる。
女性たちを支配下に置くなかで大きな役割を果たしたのは、デドンが自身の経験から編み出した性についての特異な思想だ。彼女は子どもの頃実の父親による性的虐待を受けており、父親は有罪判決を受け刑務所に入れられたが、デドンは自身が被害者だったことを否認し、被害者かどうかは自分が決めることだ、と言う。父親に虐待された子どもだと思ったら自分は被害者としての立場から逃れられないが、父親を誘惑して手を出させたパワフルな女性だと思えばそっちが事実になる、と。大人になってストリッパーやエスコートとして性産業で働いた時期にも、ラップダンスを買った客にナイフを突きつけられたことがあったが、彼女はその客に魅惑的に微笑みかけ、「どうしてわたしがこういうことが好きだってわかったの?」と問いかけて相手を無力化したという。
デドンの考えによると、レイプされたと思うからレイプされたことになるのであり、自分が求めていたことにすればそれはレイプではない。すなわちレイプされたかどうかは自分の考えかた次第であり、女性は自分を被害者に貶めるのではなく、なにがあっても被害者にならない強さを持つべきだ、という信念がそこにある。はっきり言って無茶苦茶で全然納得できないし、自分がそう考えて生きてきたから他人もそうするべきだという押し付けは酷いけど、子どものころの虐待や性労働時代に受けた暴力を生き延びるためにこうした考えを持つようになったというのは分からないでもない。
さらにデドンは、不快に思うこと、絶対に嫌だと思うことこそ行うべきだとか、相手が拒否することを押し付けることが相手の成長のために必要だという考えも組織内で披露し、本人の意志を無視して彼女が指定した人とのセックスを行うように女性たちに強要した。とくに性的なトラウマを抱える人に対しては、とにかく嫌な相手とのセックスを毎日毎日繰り返して拒否感を擦り切れさせるしかトラウマを克服する方法はないとした。デドン自身、ワンテイストを創業する以前は別のセックスコミュニティで共同生活を行っていた経験があり、それで自身のトラウマを克服したという成功体験があるのかもしれない。
はじめのうちはスポンサーの男性抜きでは成り立たなかったワンテイストのビジネスだけど、ウェルネス産業の他社を参考にして瞑想コースそのものではなくコースを教えるインストラクターの資格を取るためのコースを売り出したり、フランチャイズ化するなどして利益をあげるようになると、シリコンバレーのカルチャーとマッチして莫大な利益があがるように。しかしやばいことをやっているという自覚があったのか、デドンはビジネスとしてのワンテイストを裕福な家庭出身の会員たちに売り渡し、法的な関係のない「精神的指導者」におさまることに。当時metoo運動が活発になっており、少なくとも表面上は女性の性の肯定とエンパワーメントを掲げていたワンテイストも有名人やウェルネスインフルエンサー、テック業界などから注目を集めるとともに、ワンテイスト自体もそうした時運に乗ってメディア展開を進めた。
本書の著者もそうしたワンテイストのメディア戦略のなかで取材して記事を書かないかと働きかけられたライターの一人だったが、取材をはじめた著者はワンテイストとデドンによる搾取や虐待を訴える元会員の声に気づき、次第にワンテイストの思惑と反するかたちで取材が進んでいく。記事が出版されるまえにさまざまな疑惑や告発についてコメントを求められたワンテイストは、ジェフリー・エプスタインも顧客に抱える広報専門家や法律家らを雇って対応に追われるも、記事をきっかけにさらに多数の被害者の声が集まり、ついにはFBIによる捜査がはじまる。FBIに続いてワンテイストの捜査に参加したのは、少し前に性的人身取引で立件された自己啓発セミナー系カルトNXIVMを起訴したのと同じ検察官だった。
デドンらが起訴され今年になって有罪判決を受けたあとも、なんだかんだでワンテイストは「オーガズム瞑想インスティチュート」の名前で事業を続けているが、かつての勢いはもちろんない。捜査を受けた当初は「性的に保守的な価値観の持ち主によって革新的な考えの自分たちは攻撃されている」と言っていたデドンたちだけど、ここ数年は自分たちは「ウォーク」によってキャンセルされた被害者だ、と大々的に宣伝しているけど、反「ウォーク」や反「キャンセルカルチャー」で騒いでいる極右がワンテイストを応援するとも思えない。しかしいまだにデドンを支持している会員たちを「自分たちは悪くない」と安心させるだけの説得力はありそうなのがイヤすぎる。ていうか被害者だと思わなければ被害を受けたことにならない、という考えはキャンセルカルチャーには適用されないの?と著者も言っているけど、まったくそうだとしか。