Basak Kus著「Disembedded: Regulation, Crisis, and Democracy in the Age of Finance」
ここ数十年ほどで加速してきた経済の規制緩和や金融化を、とくに2008年の金融危機に注目しながら、カール・ポラニーが1944年に発表した古典的名著「大転換」で用いた「disembeddedness(離床)」の概念を使って解析する本。離床というのは訳としてどうかとも思うのだけれど調べたところ複数の論文でそう訳されていたのでここでも採用した。
離床とは埋め込まれていた(embedded)ものがそこから外れた、という意味であり、具体的には経済活動や市場がそれを支えていた社会的な関係性や伝統、政治体制の制約から離れ、市場の論理のみによって動くことになったくらいの話。以前は社会に内包された一部でしかなかった市場が、逆に社会的な関係性を外部から規定し、労働力や通貨そのものなど本来売買するために生み出されたものではないものを商品として売買することが一般化し、その結果、個々の利益追求を制約するものがなくなり環境破壊や社会の解体、経済の不安定化などをもたらした。
2008年の金融危機の発生の原因の一つとして、1929年にはじまった世界大恐慌における金融不安への対抗策として成立し規制を通して金融業界の自滅を押し留めていたグラス=スティーガル法が1990年代に撤廃されたことが指摘されているが、著者は金融危機を単に規制緩和の結果として金融業者が無茶な投資に走った結果だと受け止めるべきではないと主張する。規制緩和と同時に進行していたのは、経済の金融化が進むなか政府が経済全体の危機ではなく個別の金融企業の不正や破綻の対応に集中し、また金融企業が自らの情報を公開すれば政府にかわって投資家が監視してくれるという考えのもと、格付け業者にその責務を明け渡したことだった。個別の企業が破綻しそうになったとき、通常なら市場のほかの企業に買収されるか、あるいは倒産させて資産を債権者で分け合うかといった対処が可能だが、経済全体にパニックが広がり破綻した企業を吸収したり価値が目減りした債権による損失を受け止める体力のあるプレイヤーがいなくなると同時に、複雑怪奇な債権化によりどこの誰がどれだけの損失を出したのかも分からなくなり、、あた格付け業者がそうした内実不詳の債権に甘々の点数をつけていたことも明らかになったことが、2008年の金融危機を単なるいくつかの金融機関の破綻にとどまらず、経済全体を揺るがし多くの人たちが家や財産を失う結果をもたらした。
オバマ大統領やバーナンキFBR議長は金融危機を引き起こした行政や金融業の責任者に対する追求を行わず、財産を失った一般市民に失望と不公平感を抱かせた一方、経済安定化のための措置を成功させ、金融業者や少し遅れて救済した自動車産業に対して捻出した公費は利益を出して回収するなど見事な手腕を見せたため、多くの人は2008年の金融危機のことを忘れかけているけど、ああそうだったな、と思い出すとともに、ポラニーやっぱすげえな、と思った。でもまあもうちょっと経済の金融化や債権化について説明してくれたほうが親切だったような。