Angela Denker著「Disciples of White Jesus: The Radicalization of American Boyhood」
人種差別や性差別を公言するインフルエンサーが若い白人男性たちのあいだで人気を博し、人種差別や性差別を背景とした銃乱射事件が若い白人男性たちによって繰り返し起こされているいま、男の子を持つ母親でありジャーナリスト・牧師でもある著者がアメリカにおける「白人男性性の危機」を分析する本。
過激化し暴力的になった男性たちは全員がキリスト教徒であるわけでもないし、むしろ白人至上主義的な思想を突き詰めた結果として「ヨーロッパの本来あるべき信仰」として古代ローマ文化や北欧神話に傾倒する人もいるけれど、キリスト教の牧師である著者は近年キリスト教会のなかで理想とされる「神の子」イエスの性質が変化してきたことに注目する。歴史的なイエスは現在のパレスチナの人たちと同じく浅黒い肌を持ってユダヤ人のあいだで生まれた宗教改革者であり、マーク・ザッカーバーグら極右が理想視するローマ帝国に殺害されたわけだけど、そのあたりの整合を取ろうともしない。
キリスト教会、とくに近年支持を広げているシアトルのマーズ・ヒル教会のマーク・ドリスコル牧師のように既存の宗派に属さずカリスマ的な指導者の人気で支持を集めている大手教会では、これまでのキリスト教会同様に金髪碧眼のイエスを描いたフィクション満載な絵画や像をありがたがるだけでなく、聖書の逸話のなかからイエスが暴力的に行動したとされる僅かな例を取り上げ、暴力的な指導者としてイエスを祭り上げる。たとえばイエスが神殿の境内で商売をしている人たちを無理やり追い出した部分などがそれだが、その一方でマース・ヒル教会などが自分たちのロゴを入れたありとあらゆる商品を売りまくって商売している点は問題視されない。ドリスコル牧師はその後パワハラやヘイト宣伝などが批判されてその地位を終われ、マーズ・ヒルもかつての勢いを失ったけれど、ドリスコルを真似、既存の教会に比べて暴力的で男尊女卑的な教えで若い男性の支持を集める新たな教会やインフルエンサーはさらに増えている。
本書のなかで一番ショックだったのは、中西部の教会で牧師をしている人に著者が聞いた話。その牧師は社会問題について発言している人で、十代の子どもたちのグループを何年ものあいだ導いてきたのだけれど、その牧師にとってグループの子どもたちはみんな優しく思いやりがあり親切な良い子たちだった。ある日、牧師は創世記についてのレッスンをするなかで、会話のトピックとして「もしあなたが神様だったら、どんな世界を創造しましたか?」という話題をふったところ、女子のグループでは「水中で息ができる世界にしたい」など楽しげな会話が続いたのだが、男子のグループでは「女子の着替えを覗き見できるような透明化能力がほしい」という話題で盛り上がっただけでなく、当時北朝鮮の金正恩総書記がアメリカにとっての脅威とされていたことを背景に「朝鮮人がいない世界がいい」と言い出す子がいた。別の子が「もちろんロシア人もなしで」「だったらメキシコ人やヒスパニックもいない世界に」と会話が進む。「黒人もいないほうがいい」「いや掃除したり料理を作る人が必要だろ」という議論が起きたり、しまいにはイエスがユダヤ人だったことを無視して「ユダヤ人もいらない」と言い出す始末。はじめはジョークだったはずが、いつの間にか真面目に「世界にいて良い人と良くない人」を選別する話になってしまった。「女性はいてもいいけど、全員全裸ね」と話がまとまったところで満足したのかかれらは、ショックを受け言葉を失った牧師を見つめ、次の指示を待っていた。牧師がその日のレッスンプランを中止してかれらの発言に正面から向き合い、かれらが自ら自分が何を言っていたのか理解し本心から反省できるように導けたのは、全ての人にとって幸運だった。
しかしソーシャルメディアや教会では、より過激な発言をするほうがフォロワーや信仰者を集めることができ、たいした経歴や実績のない人たちがそれだけで大儲けできる仕組みが定着してしまっている。トランプが名誉回復を進めようとしている性犯罪者で性的人身取引犯のアンドリュー・テイトをはじめ、極右活動家のチャーリー・カーク、さらには元はまともなジャーナリストだったはずのグレン・グリーンワルドらは、大手ソーシャルメディアから一時的に追放されたりもしたけれど、新たに生まれた極右メディア環境でヘイトや陰謀論を収益化することに成功している。本書はそうした動きがマーズ・ヒル教会など一部のキリスト教会のなかでも起きていて、それによってアメリカのキリスト教がより暴力的で権威主義的な形に変質してしまっていることを指摘している。
ヘイトや暴力に流れそうになっている、あるいは既に巻き込まれてしまっている若い男性たちを救い、同時にかれらの暴力の対象となる女性や非白人、移民、クィア&トランスジェンダーの人たちらを守るためには何が必要なのか。本書は単純な答えを出そうとはしないが、中西部の牧師から聞いた話からも分かるように信頼できる大人との関係が重要なことは明らか。その信頼できる大人とは、暴力と権威でかれらを従わせるのではなく、若い男性たちが間違いに気づき恥ずかしい思いをしたり、傷ついたり、孤独を感じたときに、弱さを隠さず支えてくれる人のことだ。そうした大人は男性だけに限る必要はないけれど、女性に男性をケアする役割を現状以上に押し付けるのはやめてほしいし、大人の男性たちも変わらないことには若い男性たちが自由に生きられないから、やはり若者のケアができ導くことができる包容力のある大人の男性が必要なのだろう。そんなことをしてもフォロワーは増えないし収益には繋がらないけれど、だからこそ宗教が果たすべき役割がそこにあるのかもしれない。