Alec Karakatsanis著「Copaganda: How Police and the Media Manipulate Our News」

Copaganda

Alec Karakatsanis著「Copaganda: How Police and the Media Manipulate Our News

警察による人権侵害と戦い続ける人権派弁護士が、警察によるプロパガンダにメディアが実質的に協力し、警察に都合の良いニュースが流れるようになっている現実を告発する本。前著は「Usual Cruelty: The Complicity of Lawyers in the Criminal Injustice System」。

本書が対象としている警察プロパガンダ(略してタイトルにもなっている「コッパガンダ」)へのメディアの協力は、ニュースとして報道される部分のみ。刑事ドラマとか警察密着のリアリティ番組とか、より直接的に警察に有利な印象を広めるコッパガンダはあるけれど、それらはあえて含めない。また本書はFOX Newsのように明らかに真実性を求めていない極右プロパガンダメディアも対象には含めない。本書が分析の対象とするのは、一般的に中立もしくは多少偏ってはいても事実には忠実とされる主要なメディアによる2020年から2024年のあいだに出された犯罪と安全についての記事だ。

メディアはどんなに中立なように見えても、なにを報道してなにを報道しないのか、どう報道するのか、といった点において必ずなんらかの視点を取る。もしそれぞれのメディアがランダムな方向に異なる確度から物事を見ているのであれば全体としてはバランスが取れるが、実際のところそうではない。より読者や視聴者の注目を集めやすい内容、より取材が簡単な内容、より次の取材に繋がる内容、より広告を出すスポンサーが付きやすい内容へと流れる結果、本来それぞれ独立していて客観的事実を伝えようとしていたはずのメディアが、一斉に警察に有利な報道を行ってしまう。とくに警察に対する批判が高まった2020年以降、警察が内部にこれまで以上に多数の広報の専門家を抱え、自分たちへの印象を向上させようとしている影響も大きい。

本書が取り上げている、捏造されたモラル・パニックの一つとして記憶に新しいのは、2021年から2022年にかけて全国的に騒がれた、万引き組織の蔓延についてのニュースだ。組織化した万引きが多発しているという報道が各地で広がり、2020年のブラック・ライヴズ・マター運動によって警察予算が削減されたせいだ、という論調が作られた。実際のところブラック・ライヴズ・マター運動による警察予算の削減はほとんどなく、予算を一割削減したとされたシアトルも実際には駐車違反の取り締まりを警察の外に出すなど組織を政府内で移動させただけであり(すぐに元通りに戻された)、まったく理由になっていなかった。万引きが多発という報道の元となったデータは小売店舗の業界団体が警察官組合とともに広めた数字であり根拠がなく、実際に万引きが増えた地域でもその増加はパンデミック中の生活支援が打ち切られた人たちが生活に困って万引きした、で説明がつく範囲でしかなかった。

何を犯罪として報道するか、という部分でもメディアは警察に一方的に協力している。企業が労働者に残業代を払わなかったり違法な罰金をかけたりして不当に労働者から盗み取った金額はほかのあらゆる犯罪を足したよりも多い被害額だが、警察はそれを捜査しないし、メディアでもほとんど報道しない。ごくたまに個々の企業が摘発され罰金を支払わされるだけ。周囲の環境を汚染したり、消費者やその周辺の人たちの健康を害するような商品を売り出す企業も同じ。圧倒的に人々の安全と健康を奪っているこれらの違法行為はあまりに常態すぎてニュース性がなく、したがってニュースで取り上げられることもほとんどないが、個人の犯罪者による重大な犯行は大きく報道され、ごく僅かな事例がメディアで拡散されることで、それをもとに社会政策が決められていく。

また警察とメディアは、安全と人権を対立させる構図を作り出し拡散している。警察による人種差別的な人権侵害を批判するブラック・ライヴズ・マター運動について、かれらは犯罪を横行させようとしている、それで一番苦しむのは黒人たちなのに、と嘲笑するコメンテータをメディアは採用するが、かれらが主張する警察予算削減とはいったいどういう意味なのか、どうしてそれが黒人コミュニティをより安全にするとかれらが考えているのかきちんと説明はしない。同じ税金を使って社会をより安全にするにはどのような政策を取るべきか、というブラック・ライヴズ・マター運動が投げかけた問いを「警察予算を増やすのか減らすのか、犯罪を取り締まるのか放任するのか」と、そしてホームレスの人たちに対する支援を求める声を「ホームレスを排除すべきか、それともホームレスによる公共スペースの占拠や周囲への悪影響を容認すべきか」と矮小化することで、安全を求めるなら警察による暴力行使を認めるべきだという結論に追い込もうとする警察による論点設定を何の疑問も持たずにそのまま宣伝しているのもメディアだ。

このようにして警察プロパガンダはその本質をロンダリングされたうえで、議論の当たり前の前提としてメディアによって提示される。それらを報道するメディアが明白には党派的なプロパガンダに加担しないメディアとして信頼されているからこそ、このプロパガンダは「プロパガンダに騙されない」と思っている読者や視聴者に対して有効にはたらく。極右メディアの危険はこれまでも指摘されてきたが、警察そのものが政治的には極右政治組織そのものなのに市民を守る中立的な存在とされているために、警察プロパガンダにメディアは飲み込まれ、協力してしまっている。そしてアメリカが極度の経済的格差のある社会である限り、強者による弱者への暴力を正当化するための警察プロパガンダは必要とされ、それを拡散しようと広報戦略が続けられる。最終章には政治家やメディア関係者、一般市民それぞれに対する提案が述べられているが、最終的に「より広い視野を持とう、さまざまな人たちと知り合おう、世の中のことに関心を持とう」というところに行き着く。