Vicki Valosik著「Swimming Pretty: The Untold Story of Women in Water」
最近までシンクロナイズドスイミングと呼ばれていた現アーティスティックスイミングの歴史を、女性性の管理の歴史や女性のスポーツ参加、ショービジネスと芸術やスポーツとの境界などを通して綴る本。
Michael Waters著「The Other Olympians: Fascism, Queerness, and the Making of Modern Sports」でも論じられていたとおり、近代オリンピックを創始したクーベルタンら当時のスポーツ関係者らは、スポーツは女性にふさわしくないと考え、女性の参加を拒んでいた。また、当時のオリンピックはテニスなど上流階級が親しんでいる種目が多く、一部の陸上競技のように経済的な余裕がなく施設や器具がなくても訓練することができる競技は下に見られていた。
そういうなか、最初に女性が水中で美しいパフォーマンスを見せることが定着したのは、スポーツではなくショービジネスの世界だった。当時、女性パフォーマーがエロティックな踊を見せるバーレスクは男性客たちに人気だったが、水中で女性が優雅に泳ぐショーは「エロ目的ではない」という言い訳がたつとともに、女性が水泳すること自体が当時としてはファンタジーに近い奇跡のように受け取られると同時に、「The Other Olympians」で書かれていた「女性」陸上選手たちのように女性らしさを損なう恐れがないということで、人気のジャンルとなった。
1940年代以降、アメリカの映画界で活躍した女優エスター・ウィリアムズ氏はもともと水泳競技の学生選手だったが、卒業後、女子の水泳選手が競技を続ける環境はなく、女優として映画会社と契約する。当時の映画界は性的な内容に対する自主規制が厳しかったが、彼女が出る映画では必然的に水着で水泳するシーンを入れることができるため重宝され、アクア・ミュージカルという一つのジャンルを生み出すほどになる。彼女自身はシンクロナイズドスイミングやアーティスティックスイミングの選手でなかったにも関わらず、のちにシンクロナイズドスイミングの元祖的な扱いを受け、スポーツとして発展したシンクロナイズドスイミングの審査員に呼ばれるようになった。
女性がソロだけでなくデュオやチームで動きを揃えて泳いだり、音楽にシンクロして動くようなジャンルを生み出したり、より動きを妨げないスタイリッシュな水着が開発され水中でも崩れない化粧や髪型のセットが作られたのも主にショービジネスや映画におけるイノベーションだったが、女性のスポーツ進出が拡大するなか、スポーツとして評価されるようにもなってくる。パフォーマンスに対する評価に主観的な美の価値観が含まれるシンクロナイズドスイミングには「スポーツではない」という批判もあったが、陸で行われる新体操(リズミック・ジムナスティックス)と同時にシンクロナイズドスイミングはオリンピック競技として認定される。しかしそうした批判は、シンクロナイズドスイミングの競技者や関係者のなかから「自分たちがやっているのは本当のスポーツでありショービジネスやアートとは違う」という意見を生み出したり、より客観的な競技として受け取られるために複雑なルールや基準が設けられることにも繋がった。
シンクロナイズドスイミングからアーティスティックスイミングへの名称変更をめぐる論争も、こうした経緯が関係している。この名称変更は競技者やコーチなどから出てきた話ではなくスポーツ団体の上層部で決められたもので、多くの競技者らは名称変更に反対して署名活動をするなどした。それは「アーティスティック」という言葉がつけられることで、身体的な負荷や訓練の厳しさが競技のアスレティシズムとともに否定されてしまうとかれらが感じたから。しかし新しい名前は定着しつつあり、男女合同競技やアクロバティックなパフォーマンスの導入など新たな要素も取り入れ変化を続けている。わたし自身、シンクロナイズドスイミングの古いイメージが頭の中にあってあまり興味がなかったのだけれど、本書でその先駆者たちについて知り競技者たちの思いを読んで興味を持ったので、少し注目してみようかなと思った。