Suzannah Weiss著「Subjectified: Becoming a Sexual Subject」

Subjectified

Suzannah Weiss著「Subjectified: Becoming a Sexual Subject

セクシュアリティについてのライターでありコーチの著者が、主に女性やトランス・ノンバイナリーの人たちが性的主体であるとはどういうことなのか、考える本。

著者は異性愛者でシスジェンダーの白人女性で、幼いころから性的に魅力的とされる女性に自分を投影し、それを目指した結果、摂食障害によって数年間月経が止まった経験も。いまの社会において女性が「男性の視線」を通して性的対象化されていることに気づき、自らが性的主体としてあることを求めて故ベティ・ドッドソンによるフェミニスト的なマスターベーション・サークルからタントラなどスピリチュアルなセクシュアリティの実践など、さまざまな性のあり方を体当たりで学んでいく。そのなかで著者は、覇権的な男性性に対する反発から生まれた「女性のより情緒的で繊細な優れた性」の称揚や、男性と女性の対等な相補関係を解くオリエンタリストな東洋スピリチュアル理解、どんな身体も美しいというボディ・ポジティヴの考え、女性が男性に食い物にされないように性的合意や性の平等を訴えるフェミニストたちに出会うが、どの現場においても居場所が見つからない。なぜならそれらは、たとえより良い形であれ、著者を「女性」という性的欲望の客体に押し込めてしまうものだからだ。

ラディカル・フェミニストのキャサリン・マッキノンはかつて、「Man fucks woman, Subject verb object(男性が女性をファックする、主語・目的語・動詞)」という簡潔な表現によって、言語や文化を通して男性が性的主体化される一方女性が性的客体化されていることを指摘したが、著者が感じる疑問もそれに通じるものだ。たとえば性教育において性的合意の大切さを教える際すら、男性は常に性的欲望を抱えているからそれを押さえつけて相手の女性の意思を尊重するよう教えられる一方、女性は男性の欲望を受け入れるか受け入れないか決めて表明するよう求められる。また、女性が男性の欲望を受け入れるのであれば、その男性が本当にそれにふさわしいかどうか、一方的に利用されていないか問題とされるが、そこには自ら性的欲望を持ちその充足のために行動する女性は想定されない。

著者が言っていることはよく理解できるのだけれど、個人主義がすぎるかなあという気も。てゆーか、自分は自分の性欲を満たすために男性とセックスするのであって、相手がそれを与えられるのにふさわしい人間かとか、どういう対価があるかなんて関係ない、と言っていた著者が、コロナウイルス・パンデミックの際に経済的に必要性もないのに流行っているし興味があるからというだけでOnlyFansやリモートセックスでお小遣い稼ぎをはじめた話もあって、セックスワーク経験者ですみたいな感じになってるんだけど(それ自体はまあ間違いではないのだけれど)、パンデミックのときはマジでセックスワーカーみんな仕事が減ってめっちゃ困ってたんで、他の仕事ができなくなってやむを得ずというならともかく、興味本位で参入して市場を荒らさないでくれよって思ったんだけど。あと著者がセックスワーカー活動家の意見として何度か引用している人は、親が資産家でそのお金を使っていろいろ好き勝手している人なんですけど。