Sofi Oksanen著「Same River, Twice: Putin’s War on Women」
フィンランドで育ったエストニア人の人気作家が、ソ連およびロシアが植民地主義の武器として性暴力を行使してきたこと、共産主義というイデオロギーを失った現在のロシアがミソジニーとホモフォビアを国家的イデオロギーの中核に据えウクライナを侵攻し、バルト三国やフィンランドをはじめとする周辺国をその支配下に置こうとしていることを告発する本。フィンランド語から翻訳された英語版で読んだ。
本書はソ連による1944年の二度目の占領を受けたエストニアで幼少期を過ごした著者の大伯母の話からはじまる。彼女はあるとき占領軍であるソ連の兵士によって連れ出され、翌日には五体満足なまま家に帰ってきたが、彼女はそれから「わかりました、やめてください」と囁く以外には一生まともに口を聞くことがなかった。一度も恋愛をすることも結婚することもなく老いていった彼女がどういう経験をしたのか、一家の誰も口にしようとはしなかったが、みんな心の中では分かっていたし、その話を聞いて育った著者もそのうち理解するようになった。ほかの親戚も多くがソ連軍によって家や農地を没収され暴力を受けるなどし、命からがらフィンランドに逃げ出すことができたのは一家の一部だけだった。一時期ナチス・ドイツによって占領されたエストニアの人たちを、ソ連軍はなんの証拠もなくナチスだと糾弾し、人間以下の扱いをした。
現在のロシアがユダヤ人であるゼレンスキー大統領率いる現在のウクライナを「ナチス」と呼び、ナチス政権からの解放を名目に侵略し、ブチャをはじめとする各地で虐殺を行い、多数のウクライナ人女性を公然と性的暴行し、子どもたちを連れ去ってロシアで愛国教育を受けさせているのは、ソ連による植民地主義的な暴力がそう名指しされず、その責任者たちがそのまま新生ロシアの権力者に収まっていることと深く関係していると著者は指摘する。欧米から見るとロシアもウクライナもバルト海沿岸諸国も「旧共産圏」でありロシアを中心とした国家群だが、そうした見方はこれらの国の関係が宗主国と植民地の関係に酷似していることを見失っている。フィンランドやエストニアにはスウェーデン王国やロシア帝国、そしてソ連の植民地主義と戦ってきた反植民地主義的抵抗の歴史があるが(フィンランドに関してはラップランドに対する植民地主義の歴史もある)、ロシアはそういった歴史を共有していない。欧米はウクライナ人たちが圧倒的強者と思われていたロシアに毅然と抵抗したことに驚いたが、ロシアの植民地主義への抵抗は21世紀になってはじまったことでなく何百年もの歴史を持つことを欧米は理解していなかった。
そもそもロシアでは第二次世界大戦のことは強大なドイツと戦って自国を防衛した偉大な愛国戦争として国家によって語り継がれており、ロシア人こそがナチスの一番の被害者だという意識が強いため、ナチス・ドイツがユダヤ人やロマ人などの民族絶滅を目指した政権であったことは重視されない。だからこそユダヤ人のゼレンスキー大統領をナチスの親玉であるかのような言いがかりをつけることに矛盾を感じないのだが、ウクライナでいま起きていることはこれまでバルト海や東欧で起きてきたことの継続。欧米のいわゆる現実主義者たちは、ロシアとウクライナの停戦を実現させるにはクリミア半島やドンバス地方のロシアへの割譲を受け入れるべきだ、とウクライナを説得しようとしているが、それで終わるはずがないというのがウクライナやバルト海諸国の人たちの思いだ。
かつてのソ連は共産主義や社会主義に好意的な西側諸国のインテリたちを味方につけようとかれらを招待して良く取り繕った部分だけ見せるといったプロパガンダを行っていたが、共産主義というイデオロギーを放棄したいま、ロシアが国家的イデオロギーの中心に据えているのは、「伝統的な家族の価値」に見せかけたミソジニーとホモフォビアだと著者は指摘する。実際、かつてソ連に対する強硬姿勢を支持していた保守の多くがいまではフェミニズムやLGBTへの敵意を通してロシアに肩入れするようになっており、とくに欧米の極右勢力はロシア政府による反フェミニズム・反LGBT的な政策をお手本としている。また同時に、ロシアはソーシャルメディアを通して欧米の左派やリベラル陣営、とくにフェミニズム内部の対立を煽って弱体化させるということも行っており、たとえばTamika D. Mallory著「I Lived to Tell the Story: A Memoir of Love, Legacy, and Resilience」にも書かれているようなウィメンズ・マーチ主催者たちに対してツイッターで広まった激しいバッシングや炎上がロシア情報機関の仕込みであったことは何年もあとになって判明した。
ソ連やロシアによる過去・現在の戦時性暴力や市民からの略奪の実例がこれでもかと挙げられているほか、そうした行為を称賛するようなロシアの(政府によってコントロールされた)世論など、読むのが苦しい内容も多い。もちろんこうした暴力はロシア軍に限った話ではなく、旧日本軍やアメリカ軍だってさまざまな暴力の組織的な行使や容認が問題とされてきたが、ロシアの植民地主義が職人治主義として名指しされず、その結果、ウクライナやエストニアなど周辺諸国の反植民地主義的な抵抗も無視あるいは軽視されている、という指摘はもっともだと思った。クリミア半島の所属を考えるうえで、先住民であるタタール人の帰還の権利や自己決定権を無視したうえで「ウクライナがロシアに譲るべき」とする論調もはっきり拒絶するべき。そしてロシアの植民地主義の片棒を担ぎミソジニーやホモフォビアを拡散する欧米の極右勢力を一般的な保守から引き剥がし打倒しないといけない。