Kim Wehle著「Pardon Power: How the Pardon System Works—and Why」

Pardon Power

Kim Wehle著「Pardon Power: How the Pardon System Works—and Why

アメリカ憲法第二条第一項に大統領の権限として規定されている刑の執行停止や恩赦について、その本来の目的と悪用の危険について分析し、合理的な制約について憲法学者の著者が論じる本。

そもそもアメリカはイギリス国王の横暴への反発から独立し、権力の濫用を防ぐためにさまざまなチェック機構が憲法に盛り込まれている。予算を決める立法府と政策を執行する行政府、法的判断を下す司法府をそれぞれ独立させる三権分立の制度はその最たるものだけれど、恩赦権限に限っては議会や裁判所が介入する余地が一切ない大統領固有な強力な権限として規定されている。また、歴史を通して多くの人たちによって大統領による恩赦の権限は絶対的であり第三者による制約は受けないと考えられてきた。アメリカが独立した当時のイギリスはすでに絶対君主制ではなく立憲制であり、イギリス国王ですら自分の判断だけで恩赦を与えることはできなかったというのに、より民主的で分権的な政府を作ろうとしたアメリカが独裁的な恩赦制度を憲法で規定したことはある意味不思議な話。

歴史的に恩赦制度の存在には2つの理由があるとされてきた。1つ目は刑事司法制度の間違いや世間の常識にそぐわない処罰を是正するためのもので、たとえば警察や検察の不正によって冤罪にかけられた人や、差別的な法律によって有罪とされた人などを救済するために使われる。裁判そのものが間違っていたなら司法を通して判決を覆せば良いのにと思うけど、それには時間がかかりすぎてしまうし、Justin Brooks著「You Might Go to Prison, Even Though You’re Innocent」でも説明されている通り、そもそもアメリカは「裁判が公正に行われていた限り、事実として無実であることは有罪判決を覆す理由にはならない」という無茶苦茶な理論が通用している国なので、恩赦に頼るしかないことが多い。また、人種差別的な麻薬取り締まりによって理不尽に重い判決を受けた黒人や、自衛のために加害者に反撃したけれど裁判で正当防衛の主張をすることが認められなかったドメスティック・バイオレンス被害者など、判決が出た当時から世間の常識が変化して恩赦の対象とされる人もいる。

恩赦制度の2つ目の理由は、国のまとまりを取り戻すため、あるいは社会的な和解のために多数の人たちの罪を取り消すこと。独立戦争やその直後に各地で起きたいくつかの武装蜂起、南北戦争といったさまざまな戦争のあと、アメリカ合衆国への忠誠を誓うことと引き換えに反対勢力に参加していた一般の兵士たちに恩赦が与えられたし、ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任したあとに後を継いだフォード大統領はニクソンを恩赦するとともにヴェトナム戦争中に逃亡した軍人たちに一定の条件のもと恩赦を与え、社会的な和解を実現しようとした。こうした2つの恩赦制度の目的は、それぞれについては賛否が分かれるものもあるが(たとえばKermit Roosevelt III著「The Nation That Never Was: Reconstructing America’s Story」にある通り、南北戦争後に政府が国家的和解を優先した結果、南部における白人至上主義体制の復活を許してしまったと批判されている)、おおむね正当な政策実現の手段として認められる。

しかしもちろん現実には、不公平な刑事司法制度によって有罪判決を受けている人の大多数は恩赦されない。恩赦される人はメディアで大きく取り上げられたり有名人の支援者がつく人が多く、制度的不備を補うほどの規模の恩赦が行われることはまずない。しかも、最高裁が前述の「事実として無実であることは釈放される理由にはならない」という論理を通した理由は「そういう場合は恩赦があるから対処できる」というもので、恩赦制度があるせいでかえって刑事司法制度の欠陥が放置される事態になっている。そうして不公平な制度の犠牲となった人が救済されない一方、大統領の家族や親戚、大手献金者、政治的なコネがある人が恩赦される例は民主党・共和党のどちらにおいても多数ある。とくに大統領退任が迫った最後の数ヶ月は、もはや大統領には世間の反発を来にする必要がないこともあり、多数の恩赦を行うことが慣例となってしまっている。

そうした決して褒められたものではない歴代大統領のなかでも群を抜いて悪質だったのは、もちろんトランプ大統領だ。かれはロシアによる選挙介入に対する捜査が自分に迫ってきているうちから操作対象に上がっている人たちに対してツイッターなどを通して大っぴらに恩赦をちらつかせ、自分を守るために黙秘を貫いたり嘘をついた人は恩赦されるとほのめかし続け、また実際に多数の元側近や元部下に恩赦を与えた。また、2024年の大統領選挙においても当選したら2021年1月の連邦議事堂占拠事件に関わった人たちを恩赦すると主張しており、大統領である自分を守るために犯罪を犯した人たちに恩赦を約束し実際に与えるというパターンを見せている。さらにトランプ政権の末期にはルーディ・ジュリアーニらトランプ側近の弁護士らが寄付と引き換えに大統領からの恩赦を売りに出していたという報道もある。恩赦制度における腐敗や不公正は昔からありトランプに限った話ではないが、ここまで直接的に腐敗した恩赦権限の行使は歴史的にも異常事態。

多くの人たちはアメリカ憲法が規定した大統領の恩赦権限は絶対的であり、いくらトランプがその権限を不当に扱っても、弾劾裁判以外になんの対応もできないと考えている。しかしこれは、憲法学者から見ればおかしな話だ。たしかに憲法には恩赦の権限にはなんの制限も書かれていないが、憲法のほかの条文と衝突する場合に恩赦権限が優先すると考える理由はどこにもない。たとえば仮に大統領が「白人の囚人だけ釈放する」と発表したとしても、それは明らかに憲法修正14条に書かれた法の下の平等に反するので、どこまで大統領の意志が認められるのか、どこから制約を受けるのか、理論的には裁判所の介入を受けるはずだ。また、憲法では言論の自由がうたわれていて、文面だけ読めば絶対的であるように見えるが、誹謗中傷や虚偽広告に対する処罰が認められているのも事実であり、仮に恩赦自体は有効だったとしてもあまりに腐敗した恩赦を贈収賄や司法妨害の罪に問うことは可能なはず。というかできないとおかしい。

トランプ政権の4年間は民主主義の原則が繰り返し脅かされた時代だったが、バイデン大統領が脱税などの罪に問われている自分の息子に対する恩赦は行わないと発表している一方、2024年に選挙に出ているトランプは政治的な理由による捜査当局へのさらなる介入(David Rohde著「Where Tyranny Begins: The Justice Department, the FBI, and the War on Democracy」参照)の強化や恩赦の濫用を公言している。大統領に当選することがあってはいけないと思うけど、念のため大統領の恩赦権限についても議論もきっちり始めておく必要がある。